'95マキャヴェリ国際会議報告とマキャヴェリの政治思想の前提について
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概要
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「運とは魂の娘である」,これはピコ・デッラ・ミランドラ(1463-1494)が威厳をもってその著書『占星術反駁書』に書き付けた宣言である。一方,ニッコロ・マキャヴェリは『君主論』の有名な一章に,運命は女性であると記している。今回の考察の結論は,マキャヴェリの政治思想における人間の自己理解がピンのものとはまったくもって異なる次元に位置するということである。つまり,マキャヴェリのパースペクティヴは近代的な主-客の二元論の枠組みにつながるものではない。彼の思想にあって決定的に重要なのは,彼のヴィルトゥはフォルトゥナと対立しえないということである。さて,本稿は二部構成になっている。一部では. 1995年9月27-30日にローザンヌ大學で開催されたマキャヅェリ国際会議をスケッチ風にまとめてある。最近のマキャヴェリ研究の世界的動向を概観するには都合がよいと思われる。二部では,アンソニィ・J・パレルによる刺激的な著書,『マキャヴェリアン・コスモス』を私なりに読み解いたものである。パレルによれば,前近代的な宇宙論と前近代的な人間学がマキャヴェリの政治思想の基礎を形づくっているという。パレルの著書を読み込むことから,私はあらためて確信を強くした。すなわち,マキャヴェリの思想の核心にあっては,彼の運命とは異教の神々あるいは天の運行に置き換わるものではなく,また最終的に人間の理性に従属するものでもないということである。というのも,マキャヴェリ自身,運命を人間にはわからぬものと放置したままなのだが,まさにその運命のただなかにおいてのみ人間の行動が相互に介在しあうという意味で,運命の効力を認めている。言い換えれば,運命は人間の力(ヴィルトゥ)によって克服されるべきという一般のとらえ方はマキャヴェリの人間学の前提にはなっていないということである。マキャヴェリの男,ウオーモ・ヴィルトゥオーゾは運命のなかで生きるのである。確かに,マキャヴェリにおいて運命は人間の行動にとって不可欠な前提となっている。再度結論を繰り返せば,実にマキャヴェリ的な人間の本性の見方とは,自らの運命に乗じつつこの世界に偶然を再生産することに賭ける者たちから由来する。
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