マキァヴェリにおける「フォルトゥナ」の位相 : ヨーロッパを照準した新たな思想史の地平へ向けて(I)
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概要
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始めに、上記の副題との関連から、本稿の位置付けについて若干述べておこう。今回の論考で試みようとする作業は、マキァヴェリの「フォルトゥナ」の解釈である。それもテキストにできるだけ内在した、ひとつの解釈の試みにすぎない。それ故、本稿の要旨は、ヨーロッパの政治思想史上においてマキァヴェリに帰せられる成果を前提して、中でも「国家理性」の側からフォルトゥナ概念を再検討することが目的なのではない。むしろ、マキァヴェリを培った土壌といったものを彼自身の中に見出そうとするものである。とこで、マキァヴェリ研究にあたって、「ヴィルトゥ」、「フォルトゥナ」、「スタート」等の、いわゆるキー・コンセプトの分析が彼の思想を解明するカギと唱えられて久しいが、本稿の直接的な問題関心は次のようなものである。即ち、キー・コンセプトの中でも「フォルトゥナ」は一般に「運命」と邦訳されて流布しているが、果たしてこれが適当かどうか、ということである。「運命」と訳すことによって、「フォルトゥナ」のどういった側面が強調され、またどういった側面が隠されてくるのか、以下に明らかにできればと考えている。さて、II.フォルトゥナ概念の理解……では、マキァヴェリのテキストから「君主倫」と「マンドラゴラ」を手始めに取り上げ、フォルトゥナの用例のすべてを仔細に検討するつもりである。また、III.フォルトゥナへの手掛かり、においては、特にM.サントーロの見解に即してそれをまとめながら、マキァヴェリの「フォルトゥナ」なるものの意味をするところを探ろうと思う。
- 1988-10-30
著者
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