〈演劇〉の表現構造 : 複層的表現文化の可能体として(<特集>表現文化としての演劇)
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概要
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〈演劇〉関係の理論的・実践的な講義を担当する機会を与えられたことによって、教材の選択や教授方法といった実際的な問題に対しての試行錯誤から、表現文化としての存在意義やその位置付けといったことの考察における悪戦苦闘の経験がベースになって、〈演劇〉が様々な表現文化のエッセンスが複合的に絡み合った、他に例の見られない特殊な芸術として、興味深い様相を呈していることを、その表現構造から見出すことができる固有性、つまり、観客の眼前において、リアルタイムで上演されることによって作り出される、不可逆的な時間の流れという時間芸術性と、役者という生身の肉体を様々に駆使して演じられる、ライブ感に溢れた〈芝居〉という身体表現の集積、そして、観客の存在が融合することによって成立する劇場空間という空間芸術性が、相乗効果を発揮しているという事実関係に基づいて考察している。これまで、各論的に論じられることが多かった〈演劇〉を、総論として、つまり、様々な表現文化の複層的存在として、一つ一つの文化に内包されている表現としての可能性について、それぞれの文化を語るのにふさわしい〈ことば〉で論じていくことを提唱している。
- 山梨英和大学の論文
- 2000-10-10
著者
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