「風の歌を聴け」論 : <僕>をめぐる関係
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
村上春樹の処女作である「風の歌を聴け」の総合的な作品論を展開していくために、これまで、考察の前提条件、つまり、作業仮説として、作品全体の性格や位置付けを包括的に捉えるために、前々稿として、第1章を論の中心に据えて、そこに呈示されている<文章>・"空自"・<リスト>というキーワードに注目して、表現論的な視点から、作品の正確な措定を試み、前稿として、「風の歌を聴け」という<物語>の語り手であるとともに、主人公でもある<僕>の初期設定の問題ということで、幼年時代に自閉症気味で非常に内向的な性格であったという、生い立ちに関するエビソードをめぐって、作品における<僕>という存在の性格設定の持っている様々な意味を考察、そして、本稿は、それらを踏まえて、<僕>と<鼠>の交友関係を中心に、ジェイや左手の小指がない<彼女>を相対化の視座として、他者との関わりにおいて顕著になってくる、<僕>の存在としての問題点を、関係性の枠組みから明らかにしていこうとしたものである。
- 1997-12-10
著者
関連論文
- 《言語映像》と《映像言語》による表現論の結節点 : 押井守論の前提として
- 作品のあらすじ (国木田独歩の世界) -- (研究のための手引)
- 「風の歌を聴け」論 : をめぐる関係
- 「遥拝隊長」論 : 形象化された戦争と〈運命〉の縮図
- 〈演劇〉の表現構造 : 複層的表現文化の可能体として(表現文化としての演劇)
- コミックメディア論 試稿 : "言語芸術"と"映像芸術"の融合
- 「風の歌を聴け」論 : の初期設定の問題をめぐって
- 「十六歳の日記」試論 : 論の前提として(第2部)
- 「風の歌を聴け」論への作業仮説 : ・"空向"・
- 「美の存在と発見」論 : 小説論としての可能性と限界
- 「美しい日本の私 : その序説」論 : 小説論としての読みをめぐって
- 川端康成における大正十二年の意義 : "作家"以前の問題をめぐって
- の方法--"事実"の"再現"としての修辞学 (「民間学」と日本語) -- (日本語研究の諸分野と民間学)
- 「ロバート・メイプルソープ」の写真行為論-序説-〈見えている〉ものを〈見る〉ことをめぐって (特集 写真/ボディ・スコープ--光・ロゴス・記憶) -- (写真の身体性)
- 「猫と庄造と二人のをんな」論--既に,終わっていて,未だ,始まらない (特集:谷崎潤一郎--いま,問い直す) -- (谷崎の新しい読み)
- 「浅草紅団」論--空象としての都市
- 「末期の眼」論--前衛画家古賀春江との関係をめぐって
- 押井守論(1)表現原理の基底にあるもの