元号と武家
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
わが国の元号は中国より移植したもので, 最初の元号は「大化」(645)といわれているが「大宝」とみた方が確度がたかいとみることができよう。いずれにしても249程の「元号」が今日まで使用されてきているのだが, 現在の「平成」を除けばその決定権は天皇にあったものとみてよいであろう。法制史家滝川政次郎氏は元号大権とは「天皇が元を建て, 元を改められる権利であって, この権利は臣下の者の干犯を許さない天皇に専属せる権利」(同氏著「元〓考讃」)であるといっておられる。古代国家の確立期に整備導入された元号制は十二世紀末あたりから確立した武家権門としての鎌倉幕府ならびにそれ以降の「武家」とはどんな関係にあったのか, こうした検討を通じて平安末期以降の「国王」及び「王権」の特質はどの点にあったのかに接近しようとの試みが本稿の課題である。なお封建時代を通じて元号制度が存続し得た理由として考えられるのは三代将軍家光の言といわれる「年号ハ天下共二用フルコトナレバ」という一言に端的に示されているし, それ以前でいえば, 「公武」ならんで用いるものとの考え方が定着しているのである。つまり, 「元号」はある天皇の時代を意味するものでなく, ましてや天皇の独占物でなくなったことが, 封建制下でも, なお維持存続した理由とみてよいであろう。
著者
関連論文
- 元号と武家
- 鎌倉御家人 : とくに「文士」について(3)
- 沖縄県の「過剰人口化」現象における労働と生活
- 中世における山野領有と利用をめぐる諸問題
- 鎌倉遺文研究会編, 鎌倉時代の政治と経済, 東京堂出版, 1999年4月, 432頁, 9,000円
- 鎌倉御家人 : とくに「文士」について(2)
- 鎌倉御家人 : とくに「文士」について(1)
- 後白河と清盛(III)
- 後白河と清盛(II)
- 後白河と清盛
- 丸子における製糸業の発展(2)
- 丸子における製糸業の発展(1)
- 頼朝と義経
- 日本中世における身分制について : 下人・所従を中心に