聞一多から見た魯迅
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概要
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魯迅は1936年10月19日, 上海で病没する.その5日後, 清華大学文学会は「魯迅追悼会」を催す.聞一多は, この会で講演する.そこで彼は, 1925年に既に魯迅と出会い, 自己との類似点を見出したことを語る.同年, こ新しい雑誌を計画するに当り, 魯迅をそのメンバーに加えようとさえしてにいる.1944年, 昆明で開かれた「魯迅逝去八周年紀念大会」では, 「新月派」として魯迅に対して取った態度を深く反省し, 懺悔を行っている.本稿では, この間, 聞一多のどのような変化があったのかを辿るとともに, それにつれて彼の魯迅観がどのように変っていったかを眺めてみる.その主たる補助線として, 中唐の詩人韓愈と毛沢東を挙げ, 聞一多と魯迅とを結び付けてみたい.前者は, 聞一多が魯迅の中に伝統的な「文人」を見ることを指摘したものである(ただ, 必ずしも十全でない点については, 今後の課題としたい).後者では, 聞一多の魯迅観に毛沢東「文芸講話」の影響が見られることを指摘することになるが, これは彼が昆明の西南連合大学で教鞭を執るうちに, 「抗日運動」の深まりとともに, 政治的たらざるを得なくなっていくことへの傍証ともなるであろう.
- 早稲田大学の論文
- 1996-03-31
著者
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