「シテシマウ」の記述に関する一考察
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概要
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小稿は動詞のテ形に補助動詞「シマウ」が後接する形式(「シテシマウ」と記す)に関し, 従来の研究の成果をふまえて, その文法的, 意味的な記述を再検討し, 整理したものである「シテシマウ」の記述においては, ムード的な感情表現に関する記述が不可欠であり, 特に日本語教育の「シテシマウ」の導入では, 「完結」ならいつも「シテシマウ」が使えるという誤った類推が回避できる点で, アスペクト的な意味よりも, こうしたムード的意味が重視されるのが適切だといえる.しかし記述的な立場ではこの「感情表現」がどのようにして生じるのか, といったアスペクトとの関連性に注目する必要がある.過去の研究をふりかえってみると, 「シテシマウ」は金田一1955では終結態と既現態のアスペクト形式, 寺村1984では「二次的アスペクト」形式, 吉川1973では, 「シテシマウ」はある条件下でアスペクト的形式だったりムード的形式だったりするもの, 藤井三992ではアスペクト形式ではなく, 「感情・評価の表現者」としており, ここにおいて「シテシマウ」の文法的位置づけに不統一が見られる.小稿は, 「シテシマウ」を基本的に「完結」の意味をもち, 「スル」と異なり, 「完結」と同時に話者などの人物が主観的にとらえた「新事態」が出現し, それに伴う感情や心理を派生的に表現するものとしてまとめ, その点を具体的に記述し, 検証したものである.あわせて, 「シテシマウ」は「スル」形式や, 「〜シオワル」などのマス形に付く形式, 他の「〜シテイル, シテオク, シテミル」などの「テ形」に付く形式と, 互いに相補的な関係においてとらえられること, またそのアスペクト的な位置づけをするには, アスペクトの定義そのものを見直しする必要性があることを指摘した.
- 早稲田大学の論文
- 1994-03-25
著者
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