身体が言葉を失った時--非言語的なやり取りから生まれる身体の意味について
スポンサーリンク
概要
著者
関連論文
- 身体は見えるものである--理学療法からダンスへ (特集 臨床現象学--精神医学・リハビリテーション・看護ケア)
- 身体が言葉を失った時--非言語的なやり取りから生まれる身体の意味について
- 共振する身体--脳卒中後遺症の人に対する動作指導時の非言語的指示について考える
- 103 短期入所施設を利用している家族と施設職員との間で行われた哲学的な対話の実践 : カンファレンスや家族会とは異なったコミュニケーションの可能性を探る(生活環境支援系理学療法II)
- 上下・左右・前後という方向性を半側空間無視の人に伝えるために(一般,「コミュニケーション研究の今,その先」及び一般)
- 今、ここの自分から離れるということ--舞踊によって生みだされる身体と観客の身体が出会った時に見い出されるリズム (特集 舞踊・共創コミュニケーション)
- まなざす身体--脳卒中後遺症の人の視野と運動の関係について
- 空間知覚は身体表現と共になされるものである : 左半側空間無視の人はパースペクティブを失うことは出来るのか
- からだトーク/生まれる
- 光景と対になる身体 : 左半側空間無視を呈する人を始めとして私たちが上下・左右・前後という方向性を獲得するために
- 洛星高校での授業について
- 医療・福祉現場でのカンファレンスと哲学的対話の接続可能性--理学療法士・作業療法士の観点から
- 身体ワークショップ(その1) : 高齢者デイサービス「祥の郷」での試み
- 馴染む身体馴染まない身体 : 脳卒中後遺症の人に対する感覚統合訓練とポジショニングの新たな意味とは
- 「からだトーク」あるいは身体表現ワークショップの映像記録化について
- 身体が言葉を失った時 : 非言語的なやり取りから生まれる身体の意味について
- 「ここ」は「何所か」、「何所か」は「ここ」、あなたでも私でもない身体のダンス : 勅使川原三朗《ガラスノ牙》
- 我々は物とどのように出会っているか : 洛星高校での授業の経験を通して
- 我々は物にどのように出会っているか?
- 共振する身体 -脳卒中後遺症の人に対する動作指導時の非言語的指示について考える-