チェーザレ・リーパの「ポルポラ」
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
チェーザレ・リーパの図像学事典『イコノロジーア』(1593年初版) において定義されている5種類の「節制」の擬人像のうち、一人は「ポルポラの服を着た女性」である。すなわち「節制」とは「中庸」であり、それは「ふたつのまったく異なる色」の「合成物」たるポルポラの服によってあらわされるのだという。これはポルポラが二色の合成色であることを最初に明言したという点で特筆すべきものであるが、リーパはこの知識をいかにして得たのであろうか。 古代のプルプラ貝による染色はとうに廃れ、15世紀の染色マニュアルや衣裳目録には、「ポルポラ」という色名すら見いだすことはできない。チェンニーニ等による諸文献は、ポルポラが赤と青の合成色、もしくは赤そのものとみなされていたことを間接的・・・に伝えているが、いずれにせよポルポラはすでに一般的な色彩用語ではなかったことが理解できる。 16世紀に各種出版された色彩象徴論からも同様な事情が窺える。エクイーコラ、テレージオ、モラート、リナルディ等は、ポルポラを古典文学作品に頻出する色と認めつつも、それを単に赤をあらわす色名の一つとみなしているに過ぎない。 しかし1565年、紋章官シシルの『色彩の紋章』のイタリア語訳が出版されたことが、イタリア人のポルポラ観を変えることになった。この書の第一部では、紋章を構成する基本色として金、銀、朱、青、黒、緑、プールプルが論じられているが、そこではプールプルが「他の [6 つの] 色で出来て」いる合成色であることが明言されている。さらにシシルは、プリニウスや聖書の記述からプールプルが王や皇帝に属する「高貴な」色であることを強調しており、このことはイタリア人にポルポラの象徴的価値を再発見させることにもなったと考えられる。 シシルの論はイタリアで版を重ね、ロマッツォの『絵画論』等、16世紀後半以降に書かれた色彩象徴論に大きな影響を与えたが、リーパも寓意像の服の色彩を決めるにあたってこれを参照したことは間違いない。とりわけ『イコノロジーア』におけるポルポラを着る寓意像の説明には、シシルのプールプル論が色濃く反映されている。さらにポルポラを二色の合成色とみなす考え方も、『色彩の紋章』第二部における、プールプルは「赤と黒のあいだの色であるが、黒よりも赤により近」く、「藍か青の色をもつ」という記述を踏まえたものだと考えられる。したがってリーパの言う「ふたつのまったく異なる色」とは、赤と黒、もしくは赤と青と考えられるが、それを明らかにしなかったのは、ポルポラが人によってさまざまな色名で言い換えられる色調の定まらぬ色だからである。
著者
関連論文
- 失われたポルポラ : 中世末期イタリアにおける赤の染色と象徴
- 「不在の色」 : 14-16世紀イタリア服飾にみる青の諸相
- 失われたポルポラ : 中世末期イタリアにおける赤の染色と象徴
- レオナルドの薔薇色の服--「無学の人」の服飾観
- チェーザレ・リーパの「ポルポラ」
- 彼岸の眺め--中世末期イタリアの「死」と「救い」 (特集 心に寄りそう葬儀)
- 青い〈嫉妬〉 : 『イコノロジーア』と一五-一六世紀の色彩象徴論
- リーパは"彼ら"に何色を着せたか? 『イコノロジーア』と16世紀イタリアの色彩論
- 「神性の顕現」に立ちあう「自分」--ボッティチェッリ《マギの礼拝》 (特集 降誕から公現へ)
- これはわたしの愛する子--ヴェロッキオとレオナルド・ダ・ヴィンチ共作《キリストの洗礼》への道 (特集 洗礼・バプテスマ)
- 色彩の回廊 : ルネサンス文芸における服飾表象について, 伊藤亜紀 著, ありな書房, 定価4,000円+税, 2002年2月発行
- 聖なる楽器、俗なる楽器--音楽のアンビヴァレンス (特集 礼拝の楽器)
- 青を着る「わたし」--「作家」クリスティーヌ・ド・ピザンの服飾による自己表現 (特集 第二回大会シンポジウム「メディアと社会」)
- チェーザレ・リーパの「ポルポラ」