失われたポルポラ : 中世末期イタリアにおける赤の染色と象徴
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
1.ポルポラの終焉 ...murexもまた[purpuraと]同様の[性質を備えている]が、咽喉の中央に、衣服を染めるためにと[人びとが]求めるあの紫の花をもっている。そこには白い管があって、ごく少量の液体が含まれているが、ここからあの貴重な黒っぽい薔薇色に輝く染料がとれるのである。しかし身体の他の部分からは、なにもとれない。…ローマの束桿と斧とがそれ(purpura)に途を拓き、加えて少年期の威厳のしるしともなる。そしてそれは元老院を騎士階級から区別し、神々の恩寵を得んがために求められ、またあらゆる衣に輝きをあたえてくれる。そして凱旋用の衣服においては金とあわされる。それゆえpurpuraへの気ちがいじみた執着も弁明の余地があるというものだろう。しかしまあ、どうしたわけでこの貝に[これほどの]額が支払われるのであろうか? 染料として使用される折には悪臭を発し、荒海の如き陰気な鉛色をしているというのに^<(1)>?プリニウスが『博物誌』の中で詳細に述べ伝えているとおり、古代地中海沿岸諸国では、海辺に棲息する3種のホネガイ(murex brandaris、murex trunculus、purpura haemastoma)が赤紫染料の原材料として珍重された。それはこの染料による染め上がりが美しかったからであることはいうまでもないが、また当時としては唯一といっていいほど色落ちのしにくいものだったからである。さらにこの染料の価値をいやが上にでも高めたのは、その稀少価値性であった。すなわちこの貝から得られる白い分泌液は、1個あたり3、4滴に過ぎないので、100gの羊毛を染めるのに必要な液を採取するには、じつに12000個もの貝を要する^<(2)>。しかもこれがそのまま染料となるわけではなく、集めた液に塩を加え、10日間泡をすくいながら加熱し、不純物を取り除くという、じつに手間のかかる行程が待っているのである^<(3)>。しかし中世に入ると、murexやpurpura-以下、「ポルポラ」と総称する-を用いた染料は、ヨーロッパの各地から次々と姿を消していった。すでに紀元500年頃には、イタリアではポルポラの染色工はほとんどみられなくなり、わずかにタラントからラヴェンナの皇帝テオドリックに、ポルポラ染めの布が送られるにすぎないという状態に陥っていた^<(4)>。その後もビザンティン帝国下のコンスタンティノポリスやパレルモでは、細々とポルポラ染色が続けられていたにせよ、その用途は主に羊皮紙写本や文書を染めるというものであって、1453年にトルコによって帝国が崩壊すると、それと共にこの染色も完全に終わりを告げたのであった^<(5)>。そのことは、ヴェネツィアで14-16世紀の間に書かれた商業指南書や染色マニュアルのいずれにもポルポラに関する記載がないという事実からも窺い知れる^<(6)>。また染料としてのポルポラのみならず、porpora(紫色)という色名も極端に使用頻度が減っていた。例えばジョヴァンニ・ヴィッラーニの年代記は、王政ローマ時代のトゥッルス・ホスティリウス(I, 28)、教皇ヨハネス22世を廃位に追いやろうとした神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世(XI, 70)、そして1348年にナポリに侵攻したハンガリー王ラヨシュ1世(XIII, 112)が、民衆に対するデモンストレーションのひとつとしてporporaの衣をまとったことを伝えているが、ジョヴァンニの弟マッテオとその子フィリッポによって書き継がれた年代記には、poropraという語はただの一度もあらわれず、代わりに重要任務を帯びた使節等の服の色としてscarlatto(緋色)が、しばしばみられるようになる(III, 13; IV, 49と54; IX, 44; XI, 71)^<(7)>。このことはとりもなおさずporporaがscarlattoに最高の色としての地位をあけわたしたことを意味している。いみじくもジョヴァンニ・セルカンビは『ルッカ年代記』の1368年の記事で次のような警句を発している。「塩以外の味はなく、scerlacto以上の色はなく、ピサ人以上の裏切者はいない」と^<(8)>。この小論では、ポルポラの染色技術が失われて久しい14-16世紀のイタリアで、このような赤色染料が用いられていたか、そして如何なる人物が赤を着たか、さらにそんな世相が当時の人びとのもつ赤という色彩のイメージをどのように変えていったかをみていくことにする。
- イタリア学会の論文
- 1998-10-20
著者
関連論文
- 失われたポルポラ : 中世末期イタリアにおける赤の染色と象徴
- 「不在の色」 : 14-16世紀イタリア服飾にみる青の諸相
- 失われたポルポラ : 中世末期イタリアにおける赤の染色と象徴
- レオナルドの薔薇色の服--「無学の人」の服飾観
- チェーザレ・リーパの「ポルポラ」
- 彼岸の眺め--中世末期イタリアの「死」と「救い」 (特集 心に寄りそう葬儀)
- 青い〈嫉妬〉 : 『イコノロジーア』と一五-一六世紀の色彩象徴論
- リーパは"彼ら"に何色を着せたか? 『イコノロジーア』と16世紀イタリアの色彩論
- 「神性の顕現」に立ちあう「自分」--ボッティチェッリ《マギの礼拝》 (特集 降誕から公現へ)
- これはわたしの愛する子--ヴェロッキオとレオナルド・ダ・ヴィンチ共作《キリストの洗礼》への道 (特集 洗礼・バプテスマ)
- 色彩の回廊 : ルネサンス文芸における服飾表象について, 伊藤亜紀 著, ありな書房, 定価4,000円+税, 2002年2月発行
- 聖なる楽器、俗なる楽器--音楽のアンビヴァレンス (特集 礼拝の楽器)
- 青を着る「わたし」--「作家」クリスティーヌ・ド・ピザンの服飾による自己表現 (特集 第二回大会シンポジウム「メディアと社会」)
- チェーザレ・リーパの「ポルポラ」