多度山美泉と田跡河の瀧 : 天平十二年聖武行幸時の萬葉詠から
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概要
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『萬葉集』巻第六に載る天平十二年(七四〇)の聖武天皇関東行幸時における一連の萬葉歌を考察する一環として、美濃国多芸行宮での大伴東人の詠歌(6・一〇三四)と大伴家持の詠歌(6・一〇三五)を考察する。詠歌の場である「多芸」の地は、聖武天皇以前に、元正天皇による美濃国行幸があり、元号が「養老」と改元されている。この元正天皇による「多度山美泉」に関わる歴史事象についてまず考察する。ついで、大伴東人や大伴家持における詠歌は、かつての「多度山美泉」を詠みこむのではなくて「田跡河の瀧」「瀧の瀬」を詠歌対象にしている。この「田跡河の瀧」「瀧の瀬」を歌に詠みこむということの意味を考察する。右の考究に関連して、行幸における宴の持たれ方についても、考察することとなる。裏表紙からのページ付け
- 2010-03-28
著者
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