鄙に目を向けた家持
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概要
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大伴家持の青年期は「みやび」意識が昂然と高まつてゐた時であつた。さうした中で育つた風流士家持は、二十九歳で越中守として下向し、鄙の風土に触れることとなる。この鄙体験が家持のみやび意識を変へ、その文学中にもひなの表現があらはれてくる。このみやび意識の変質が新たな佳作をも産み出し、又防人歌載録の契機ともなつてくるのである。文学者の意識変革と文学の質を風土を介し考究した論考である。
- 三重大学の論文
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