宿業論--歎異抄第十三条私解
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
弥陀の本願不思議におはしませばとて、悪をおそれざるは、また、本願ぼこりとて、往生かなふべからずといふこと。この条、本願をうたがふ、善悪の宿業を心得ざるなり。善きこころのおこるも、宿善のもよほすゆゑなり。 ...
著者
関連論文
- 純粋受動としての信
- 平家物語の知盛像 : 知盛は何を見たのか
- 「信」の思想 : 親鸞とアウグスティヌス
- 遺される者への思い : 萬葉の死
- 倭歌の永続性 : 倭歌における古典主義をめぐって
- 非在の構図 : 『萬葉集』巻十九、四二九二の論
- 宣長の不可知論
- 純粋受動としての信
- 共同規範性のゆらぎ (特集「日本語力を考える」)
- 存在の負い目 : 高橋和巳『堕落』論
- 私の一冊「旅の思想」
- 死後の世界
- 親鸞における「信」と「悪」 (日本倫理学会第五九回大会 主題別討議報告) -- (親鸞における「信」)
- 否定の弁証
- 私の一冊 『ヒューマンサービスに関わる人のための人間関係学』 / 『歎異抄論究』
- 宿業論--歎異抄第十三条私解
- 日本人の幸福観--その原型
- 変容される過去--大島康正『時代区分の成立根拠』に即して
- あるマルキストの肖像--河上肇論のための前書き
- 念仏?
- 日本人の幸福感--その原型 (特集 いま、幸福を考える--比較思想の観点から)
- 往相還相二種廻向と田辺元 : 宗教哲学としての田辺哲学の一側面
- <わたしの提言>学のための学を!
- 「愛」の哲学--田辺元『キリスト教の辯證』試論
- 「汝」の非在--高橋和巳『悲の器』論
- 田辺哲学--その実践論的性格