稀産蘚類Dixonia属の形態的・遺伝的変異と分類学的位置
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概要
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著者らは近年,アジア各地において蘚類植物相の調査を行っている.その一環として,2000年12月にタイ国チェンマイ州インタノン山(標高1,000〜2,600m),2001年12月にマレーシア国サバ州キナバル国立公園メシラウ(Mesilau)リゾート周辺(標高1,900m;過去に多数の植物が採集されているクンダサン(Kundasan)村の約5km北東),さらに2002年3月にはビルマ(ミャンマー)国チン州ナマタン(Natma Taung)国立公園(標高1,000〜3,000m;旧称ビクトリア山)において,コケ植物の調査を行った.その過程で興味深い蘚類Dixonia orientalis (Mitt.) H. Akiyama & Tsubotaを発見し,本種の分布[マレーシア(ボルネオ島)およびビルマ新産となる]ならびに形態変異,科の所属についての新知見を得たので報告する.Dixonia orientalisは,当初Stereodon orientalis Mitt.としてアッサム地方から記載報告され(Mitten 1859),後にウニゴケ属に移されSymphyodon orientalis (Mitt.) Broth. ex Parisとして知られていた.ウニゴケ属の再検討を行ったHe & Snider(1992,2000)は,本種がウニゴケ属には含まれるものではないことを明らかにした.その際にDixonia属のD. thamnioides (Dixon) Horik. & Andoと同じものであることにも気づいたが,組み替え名を発表するには至らなかった.Horikawa & Ando(1964)はスリランカから知られていたCamptochaete thamnioides Dixonをタイ北部で再発見した際に,本種に基づいて新属Dixonia Horik. & Andoを設立した.以来,タイ(Horikawa & Ando 1964),インド(Gangulee 1976),フィリピン(Tan & Iwatsuki 1991),ネパール(Gangulee 1976)から報告されている.新種記載の際に与えられた属名(Camptochaete)からもわかるように,本種は当初広義トラノオゴケ科の仲間だと考えられていた.新属を設立したHorikawa & Ando(1964)も,本属とオオトラノオゴケ属Thamnobryumあるいはコクサゴケ属Isotheciumやイヌコクサゴケ属Neobarbella(異名Isotheciopsis)との類縁を示唆している.しかしながら,Buck & Vitt(1986)によって,さらに後には広範な比較のもとにTangney(1997)が本属をオオトラノオゴケ科Thamnobryaceaeに含めるべきであると結論づけている.今回得られた標本ならびに英国自然史博物館所蔵のタイプ標本その他を調べたところ,顕著な形態変異が観察された.一方,地理的に離れた3地点から得たサンプルの遺伝的分化の程度を,rbcL遺伝子の塩基配列情報を用いて推定したところ,ほとんど分化を起こしていないことが判明した.本種がどの種に近縁かについても検討したところ,類縁が指摘されているオオトラノオゴケ科やトラノオゴケ科には含まれないものの系統的に近いことが示唆されたが,それを支持するブートストラップ値が非常に低く,両科との関係は依然不明のままに残った.興味深いことに,オオトラノオゴケ科,トラノオゴケ科,そしてヒラゴケ科を構成すると従来考えられてきた種はそれぞれ単系統群をつくらなかった.Dixonia属の分類学上の所属を決定するには,これらの科の定義をさらに検討する必要がある.D. orientalisが生育していたビルマ・ビクトリア山の同じ場所から,植物体がより小型で乾燥時に葉が強く縮れるという点以外では,D. orientalisに形態が酷似する蘚類を得た.この植物について,rbcL遺伝子塩基配列を用いてD. orientalisとの関係を調べたところ,両種は遠く異なる系統群に含まれることがわかった.これは,形態が酷似しているにもかかわらず類縁関係がない,いわば他人の空似と言える収斂現象の興味深い事例であろう.残念ながらこの蘚類の同定にはまだ至っていない.
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