唐張継「楓橋夜泊」詩と日本文学・韓国文化
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概要
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以前に「大和田建樹作詞「旅泊」と唐張継「楓橋夜泊」-明治唱歌による和洋中文化の融合-」(大手前大学人文科学部論集 第六号 二〇〇六年三月)、「大和田建樹作詞「旅泊」と唐張継「楓橋夜泊」と「灯台守」と英国賛美歌」(第十回東アジア比較文化国際会議(二〇〇八年一〇月 大韓民国 高麗大学)の論において、大和田建樹は唱歌「旅泊」において、「楓橋夜泊」詩を巧みに利用して、明治唱歌として、初めての芸術的な唱歌を作詞したことを述べた。 また、この曲は櫻井雅人氏によって、亜米利加のスクールソング"The Golden Rule"の利用が証明された。その後、「旅泊」の曲は、昭和二十二年文部省の音楽の教科書に「灯台守」として載り、更に同じ題で、韓国に伝わり、日本では殆ど歌われなくなった「灯台守」が今も韓国では歌い継がれていることを述べた。今回の発表では、(1)「旅泊」の題は『唐詩選国字解』の当該詩の解説の冒頭「旅泊ノコトナレバ」を参照して、大和田建樹は「旅泊」の題名を思いついたのではないかと推察した。(2)「楓橋夜泊」詩の日本での受容の例を探し、絶海中津(一三三六〜一四〇五)の詩を初め、五山文学のころから受容されたらしい。その他、日本国使と称して朝鮮半島に渡った玄蘇が一五八〇年に、慶州の奉徳寺の鐘をみて「楓橋夜泊愁眠客」の詩句を詠じた例がある。
- 大手前大学・大手前短期大学の論文
- 2012-00-00
著者
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