成城小学校におけるドルトン・プラン受容をめぐる対立の構造
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概要
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本研究は,成城小学校における教育方法改革の史的再検討の一環として,同校におけるドルトン・プラン受容をめぐる対立の構造を明らかにすることを目的とする。これまで一般的に,成城小においてドルトン・プランは,同校でそれまで独自に実践されていた自学法と高い親和性をもつ教育法として受容されたと理解されてきた。しかしながら,近年,新たな知見が提出されており,成城小の自学とドルトン・プランとが,同校の人びとが理解したように必ずしも一致するものではなかったことが示唆されている。このことを念頭において成城小におけるドルトン・プラン受容に貢献した主要な人物たちの言説を検討してゆくと,実際には,彼らのなかにドルトン・プランに対する異なる見解が存在したことに気づく。そこで本研究は,まず,沢柳政太郎の自学論の内実を検討し,成城小における自学の背景についてみた。次に,奥野庄太郎と赤井米吉の言説を対比的に分析することで,彼らのドルトン・プランに対する見解が異なるものであったことを論じた。そして,両者の見解の相違が,単なるドルトン・プランの解釈上の違いにとどまるものではなく,教育の目的観の対立構造に根ざすものであったことを明らかにした。
- 日本教育方法学会の論文
- 2010-03-31
著者
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