職業リハビリテーションの黎明としての大阪ライトハウス早川分工場
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概要
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岩橋武夫は,自らが構想した日本型盲人社会事業を具現化すべく,1935(昭和10)年,大阪ライトハウスを設立した.やがて日中戦争が勃発する.同戦争を盲人問題解決の好機ととらえた岩橋は,国とのつながりを強めつつ,失明軍人対策に乗り出す.建物の増改築などの準備を終え,1943(昭和18)年10月,失明軍人講習会を実施.翌年1月には,シャープ株式会社の創業者早川徳次の協力を得て,失明軍人6人からなる「早川分工場」を設立する.同工場は,日本型盲人社会事業を職業リハビリテーション分野で実現させたものであり,職業訓練の場と,訓練の有効性を実証するための実践の場を併せ持つ,当時としては画期的な取り組みであった.同工場は終戦による閉鎖等の曲折を経て,ライトハウス金属工場およびシャープ特選工場へとつながっており,同工場での経験は今日なお生き続けている.
- 2011-02-28
著者
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