インドネシアのクラカタウ諸島におけるチョウ相の地理生態学
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概要
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インドネシアのジャワとスマトラの間のスンダ海峡にあるクラカタウ諸島の動植物は,1883年の大噴火で死滅したと言われており,その後の動植物の再移住に伴う生態遷移の過程は地理生態学者らの注目の的になっている.筆者は,爆発後100年目の昆虫相を調査するために,1982年にこれらの島々と周辺地域(パナイタン島とジャワ西海岸のチャリタ村)を訪れる機会を得た.他の昆虫に比較してチョウは同定が容易で,しばしば,亜種の区別まで可能である.また,寄主植物や分布に関する知見も多い.さらに,どの調査でもチョウの採集や目撃の記録は数多く報告されている.したがって,寄主植物そのものの分布や採集記録が同時に備わっていれば,チョウは地理生態学上,恰好の研究材料となり得る,幸いにもクラカタウ諸島の植物相の遷移に関しては,これまで比較的充実した調査・研究がなされており,チョウのような食植性昆虫の再移住を考察する上で,きわめて有益な情報が用意されている.クラカタウ諸島では39種,パナイタン島では29種,チャリタ村では18種のチョウを採集した.クラカタウ諸島とパナイタン島で採集したチョウの大部分のものはジャワ亜種に属しており,これらの島々へは,スマトラよりもむしろジャワから移住した種の方が多いことが明らかとなった.クラカタウ諸島4島全体での39という種類数は,ジャワの583種の6.69%,スマトラの686種の5.68%に当り,この100年間でまだほんの一部のチョウしか再移住していないことを示している.ジャワでの種数に対する割合を科別で比較してみると,セセリチョウ科が2.21%で最も低く,シロチョウ科とマダラチョウ科,シジミチョウ科が10.32〜11.43%と高かった.島の生物相では,しばしば,不調和性が見られるが,クラカタウの蝶相ではあまり顕著ではなかった.クラカタウ諸島は4つの小さな島からなっており,その内の1つ,子クラカタウ島は1927年から1930年にかけての海底火山の活動によって形成された新しい島である.この島は面積も小さく(280ha),植物は約50種,しかも,それらの生育地が限られているために,チョウも僅か8種しか確認できなかった.これに対し,面積が大きく,地形も複雑で,植生も比較的豊富な大ラカタ島(1,152ha)やセルツング島(784ha)ではより多くの種類が採集された.ジャワ西海岸のチャリタ村やパナイタン島で,きわめて普通に見られる何種かのチョウがクラカタウ諸島でまったく採集できなかった.これらのチョウの寄主植物を調べてみると,いずれも,植物そのものがクラカタウ諸島に移住していないことが判明した.また,ヤコブソンやダンメルマンらがクラカタウ諸島の昆虫相を調べた1908年から1932年にかけて,島に生息していたいくつかのチョウが1982年の調査で発見されなかった.これらの大部分のチョウの寄主植物も,かつては島に繁茂していたにもかかわらず,現在では絶滅したか,あるいは,生育場所が限られているということがわかった.とりわけ,イネ科やヤシ科を寄主としていたチョウは島から消えていったものが多い.これとは反対に,これまでクラカタウ島で採集されたことのないチョウが14種も新しく記録された,とくに,シジミチョウ科が多かった.草原などオープンランドに生息する,いわゆるr-淘汰を受けた種にかわって,K-淘汰を受けた種が遅れて移住してきたものと考えられた.このように,植生の遷移に伴って種の入替りが起こりつつ,クラカタウ諸島のチョウの種類数は,1908年の6種から1919〜1922年の32種へ,そして,1928〜1934年の29種から1982年の39種へと変化してきた.マッカーサーとウィルソンは島に移住してくる生物の移入率と移住した生物の絶滅率が等しくなる時点で,島における種類数は平衡に達すると述べている。今回示したクラカタウ諸島へのチョウの移住曲線の増加傾向からも明らかなように,チョウの種類数は爆発後100年を経過した現在も平衡状態に達しているとは考えられない.島を調査した植物生態学者らは,いわゆる熱帯季節林と呼ばれる極相林に達するのに,なお多くの年月を要し,様々な植生段階を経過すると予測している.また,1つの植生段階は10年以上も継続すると言われている.そうだとすれば,寄主植物の遷移に大きく依存しているチョウ相は今後も変化し続け,種類数も増加していくに違いない.しかし,その時々の植生段階の優占種やその他の構成樹種が合わせもつ一定の容量によって最高種数が決定されるため,その植生段階が続く間,種類数はいわゆる偽平衡に達するであろう.したがって,移住曲線はなめらかに増加するのではなく,植生の遷移に応じて段階的に変化していくものと考えられる.クラカタウ諸島は長期に亘る生態遷移を研究する上で掛け替えのない天然の大実験場と言える.これまで提唱された地理生態学に関する様々な理論を検証するためにも,また,再移住の過程を分析するに足る多くのデーターを得るためにも,今後の定期的な調査の必要性を強調しておきたい.
- 1984-09-20
著者
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