1936,37年華僑学校教科書取り締まり事件
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概要
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日本政府は,1910年代に排日教科書を編んで子供たちを教えているとして中国側に抗議して以来,1945年の戦争終結に至るまで繰り返し「排日教科書」への抗議と取り締まりを行った。本文は,台北・国史館所蔵の資料を使って,1936年から37年にかけて起こった,日本と朝鮮の華僑学校で使用している教科書に対する日本政府の取り締まりと,それへの中国側の対応の実態を追い,そうすることで,同種の事件は朝鮮の華僑学校では早くに起こっているが,日本では36年になって初めて起こったものであり,中国では新たに教科書を作ることでそれに対応しようとしたものの,日本側はその教科書にも内容に問題ありとして使用を認めなかった状況を明らかにした。
- 2010-01-25
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