慈悲と縁起
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概要
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「慈悲」karunaと「縁起」 pratityasamutpadaは大乗仏教とよばれる思想の展開のなかで,古来ひときわおおくの関心をあつめてきた概念である.しかし,この二つの概念が相互にいがなる関係をもつのかについては,学術的な議論の蓄積が十分になされてきたとはおもわれない.本誌前号に拙訳を掲載したシュミットハウゼンの論文は「縁起」と密接な関わりをもつ「空性」と「慈悲」との関係いかんという問題に解答をあたえるための手がかりを提供しようとするすぐれた文献学的貢献(Beitrag)であった.その論文のなかで氏は両概念の関係を「緊張」Spannungと「相補性」Komplementaritatという相のもとに捉えようとした.伝承された文献の言説に忠実であるならば,氏によって提示された理解が,その問題にたいする現状でのぎりぎりの解答であるかもしれない.つまり,慈悲がなんらかの働きかけをふくむかぎり,「寂滅」すなわち絶対的な静止を意味する縁起との矛盾をまぬかれることはできない,ということであろう.以下の論考は,シュミットハウゼンの論脈をふまえながらも,筆者なりに慈悲と縁起とのそれぞれの意味を問いかえし,両者をつなぐ理論的な可能性をさぐろうとする試みである.
- 慶應義塾大学の論文