「二重社会」という視点とネオリベラリズム : 生存のための日常的実践(<特集>ネオリベラリズムの時代と人類学的営為)
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概要
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本論文で提示する「二重社会」という視点は、レヴィ=ストロースの「真正性の基準」の議論の帰結、つまり「近代以降、ひとは、真正な社会と非真正な社会という、異なるあり方をした二つの社会を二重に生きている」というものである。本論文では、この「二重社会」という視点が、ネオリベラリズムやグローバリズムに対応する日常的な実践と、そうした実践を可能とする社会的連帯の基盤となる煩わしさと反復による社会関係の評価を可能とすることを示す。すべてを交換可能なものとして一般化するグローバリズムやネオリベラリズムに対抗するために、比較可能で置換可能な差異としての特殊性に依拠することとそれへの批判は「一般性-特殊性」の軸にそってなされる。また、それを批判するネグリ/ハートの議論も同じ対立軸上でなされている。ここで見落とされてきたのは、ドゥルーズが一般性と対比させる「単独性」と「反復」であり、それは「一般性-特殊性」の軸とは異なる「普遍性-単独性」の軸に位置する。これらの軸はレヴィ=ストロースの真正性の水準の議論における「非真正な社会」と「真正な社会」にそれぞれ対応する。「真正な社会」と「非真正な社会」とでは、同じ貨幣や行政機構などの媒体が、質的に異なったものとなる。それらの一般化された媒体は、真正な社会において、一般性を剥奪される。この一般化された媒体を変換する実践は、人類学では、J・パリーとM・ブロックらによる「貨幣を飼い慣らす」実践として議論されてきたが、それらも、「一般性-特殊性」の軸にそった議論にとどまっている。「二重社会」の視点から見直すことで、こうした実践が「普遍性-単独性」の軸にそって非真正な社会との境界を維持するものであるという点が明らかとなる。このように「二重社会」という視点は、ネオリベラリズムやグローバリズムに対応する多様な実践の意味解釈を可能とする。
- 2009-09-30
著者
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