白への恐怖、黒へのあこがれ:ウィンキン・デ・ウォードの標題紙(2)
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概要
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ウィンキン・ド・ウォードが標題紙を「ページいっぱいの表示」にするための模索はまだ続いた。1512 年、彼は標題紙に「内容説明」、その簡略版ともいえる「目次」、さらには「詩」まで示すようになる。それでもこれらのおかしな表示形を全部併用すると、標題紙は「ページいっぱいの表示」になることから、1517 年にはついに標題紙を文字だけで埋め尽くすことが可能になった。とはいってもこの表示形はホイッティントンの著作専用表示形であったため、模索はまだ終わらなかった。 1520 年になると、標題紙に「囲み飾り」を使う状況が生まれる。この飾り内でも、「ページいっぱいの表示」が求められ、埋め尽くすための工夫は続く。おかげで「Cum privilegio」、「Humiliabitcalumniatorem」、「小図柄」も埋め草として使われたのである。しかしそれらよりも重要な工夫が生まれた。文字を使った図柄表示である。おかげでたとえ文字表示をしていても、行いっぱいの表示をしなくてすむことが可能となり、文字を使った標題紙表示が大幅に拡大することになった、と言うより、いつでも文字だけの表示が可能となったのである。かくしてド・ウォードは標題紙の行いっぱいの表示さらには「ページいっぱいの表示」というくびきから解放されることになった。(続く)
- 2009-03-15
著者
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