有島武郎の『一房の葡萄』
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概要
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白樺派を代表する作家の一人、有島武郎(1878-1923)は、1878 年(明治11 年)に東京に生まれた。父親の仕事の関係で、横浜に住居を移す。5歳で英会話習得のため山手居留地の米人牧師の家に通い始め、6歳になると、山手居留地にある横浜英和学校に入学する。『一房の葡萄』の冒頭部分と重なる部分である。学習院予備科時代は、明宮皇太子(後の大正天皇)の学友に選ばれている。学習院中等科卒業後は、札幌農学校に学ぶ。その後アメリカに留学。1916 年(大正5年)、彼が38 歳の時に、妻と実父を相次いで亡くす。これを機に、翌年から本格的な執筆活動に入る。それは3年間続き、彼の代表作はこの時期に書かれることになる。その後深刻な行き詰まり状況に陥り、1923 年(大正12 年)婦人公論記者波多野秋子と縊死自殺。45 年の生涯であった。 『一房の葡萄』は1920 年(大正9年)8月1日発行の『赤い鳥』第五巻第二號に発表され、1922 年(大正11 年)6月17 日には、「一房の葡萄」「おぼれかけた兄妹」「碁石を飲んだ八ちゃん」「ぼくの帽子のお話」が収録された創作童話集『一房の葡萄』として刊行された。その日の日記には、有島の3人のこどもたちが、届いた童話集を熱心に読んでいる様子が記されている。これらの童話に共通していることは、こどもにも残酷な面があることをリアルに描写していることである。
- 2008-12-30
著者
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KASHIMA Takumi
長崎外国語短期大学
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LORENZ Loretta
長崎外国語短期大学
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加島 巧
長崎外国語大学
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Kashima Takumi
長崎外国語大学
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Lorenz Loretta
長崎外国語大学
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有島 武郎
長崎外国語短期大学
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