森鴎外の『高瀬舟』
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概要
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明治・大正期を代表する作家の森鴎外(1862-1922)は、1862年に島根県の津和野に生まれた。家は、代々津和野藩の典医を務めていた。1881年に19歳8ヶ月で東京大学医学部を卒業し、陸軍に入る。ドイツ留学(1884-1888)後に執筆活動を始める。『舞姫』は初期の代表作で、ドイツから帰国直後に鴎外を追って来日したエリーゼ・ヴィーゲルトが素材の一つになっていることは有名である。1899年から1902年の小倉赴任後には、歴史小説の分野に進む。その転機となったのは、時代が明治から大正に代わった時の乃木希典の殉死で、鴎外は『興津弥五右衛門の遺書』を書いた。鴎外の歴史小説は、1916年の『渋江抽斎』として結実する。1916年に陸軍を退官。1919年には帝国美術院の初代院長に就任する。『高瀬舟』は1916年に書かれた。弟殺しの罪で遠島を申し渡された喜助と彼を護送する同心、羽田庄兵衛。鴎外は、二人が高瀬舟の中で交わす会話で安楽死の問題を提起している。