中島敦の『名人伝』
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概要
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中島敦(1909-1942)は、1909年(明治四十二年)に東京に生まれた。中島家は江戸時代より続く儒家の家柄で、彼も一高・東大国文科を出て、横浜高女の教師となった。喘息の発作に悩まされながらも創作活動も行った。1941年(昭和十六年)にはパラオ南洋庁の国語編修書記となり、パラオに赴任する。転地療養のつもりであったが、病状はかえって悪化した。1942年(昭和十七年)、「光と風と夢」が芥川賞候補となる。同年12月4日に喘息のため死去。『名人伝』は中島が死去した昭和12年に『文庫』12月号に発表されたものである。『烈子』に基づく物語である。趙の邯鄲の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうとして、ついに「不射之射」の極致に到達する話である。
- 2006-11-20
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