インド・チベットの中観派の分類 : 'Jam-mgon Kong-sprul Blo-gros mtha'-yas(1813-1899)著Shes bya kun khyabを通して
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概要
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Nagarjuna(ca.150-250)の弟子たちにより"中観派"が形成されて以後,自立論証あるいは帰謬論証に重きを置く立場など,空性論証形式の多様化により様々な立場が生じた.後代には,これらの立場を中観派の分派として分類する傾向が現れてきた.インドでは,中観区分はあくまでプリミッティブなものにすぎなかったが,チベットにおいては非常に複雑化していった.すでに,Ruegg氏や御牧氏の研究により,9〜18世紀の文献中に見られる中観区分の歴史は整理されている.しかし,19世紀のチベットでは,"無宗派運動"(Ris med)という一大宗教改革が始まり,それまでの伝統教学にとらわれない新しい教義体系が誕生し始めていた.その最中に,この中観区分も大きな変化・発展を遂げていたことが分かった.本稿では,その1例として,'Jam-mgon Kong-sprul Blo-gros mtha'-yas(1813-1899)著Shes bya kun khyabに見られる中観区分を扱う.Kong-sprulは,それ以前には見られない広範かつ詳細な中観区分を試み,我々が唯識派や密教徒と位置づける論師まで,論書を限定した上で中観派の一部に位置づけている.もちろん,彼の中観区分の見解をインド文献に適用する際には多くの注意を払う必要があるが,インド中観派に関する我々の理解を補助するという点で大変有益であることには何ら疑いはない.
- 2009-03-25
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