宮沢賢治「ポラーノの広場」論 : 「新しき村」との関連を中心に
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
「ポラーノの広場」は宮沢賢治晩年の四大長編童話の一つである。この作品はまず大正13(1924)年ごろ先駆形が執筆され、長い年月の間に改稿・削除・加筆といったプロセスを経て、昭和6、7(1931、2)年ごろ最終稿に辿り着いたのである。少年達が昔話に出てくるような広場を探し、それが失敗した後、自力で新しい理想の広場を創りあげる、という筋立てである。周知の如く、これは賢治自身の現実の生活に近い構想であり、つまり、彼の羅須地人協会時代の活動(大正末年から昭和初頭にかけての2、3年間)が下敷きにされているのである。作品の最終部分に少年達が新しい理想の広場建設に励み、成功したことが描かれているが、その新しい理想の広場については具体的に善かれていないため、作品内部のみによってその様相を捉えるのは不十分で、作品外部にも目を向ける必要があると思う。本稿では、作品の背後にある時代(主に大正時代)というものを視野に入れ、大正期におけるもう一人の作家武者小路実篤の「新しき村」に関する理想、実践と、賢治の同時期のそれとを対照させつつ、「ポラーノの広場」に現れた新しい理想の広場の有り様を探っていきたいと思う。
著者
関連論文
- 宮沢賢治「ポラーノの広場」論 : 「新しき村」との関連を中心に
- 宮沢賢治テキストにおける批判の様相
- 「黄いろのトマト」について(海老井英次教授退官記念号)
- 宮沢賢治初期文学におけるディストピア : 「蜘蛛となめくぢと狸」を中心に