心理的利己主義は論駁されたか
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概要
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心理的利己主義とは、人は本質的に利己的であるという主張である。この論文の目的は、次の三つの視点から心理的利己主義への批判を検討し、心理的利己主義はいまだ論駁されてはいないことを示すことである。第一に、心理的利己主義に対して、我々の行為は必ずしも私益に基づいてはおらず、また私益に基づいた行為がすべて利己的であるわけではないという批判がなされる。これに対して、心理的利己主義者は、心理的利己主義における「我々自身の利益」は〈我々自身の幸せ〉を意味していると規定する。それ故、心理的利己主義は、我々はそれぞれ常に、我々個人個人にとって望ましいこと(すなわち、自分の利益・幸福)を欲するという主張であるということになる。第二に、心理的利己主義に対して、我々はしたいわけではないことを時々するという批判がある。この批判によれば、人々はしたいことを除いて決して何も自発的にしないという間違った前提に心理的利己主義は基づいている。例えば、私はある行為をしたいわけではないけれど、ある目的を達成したい、あるいはその行為をすべきであると考えているので、私はその行為をする。しかし、この議論は心理的利己主義を論駁するものではない。そのような行為は、直接的に私がしたいと思うことではないが、その目的を達成したいという欲求がなければ、私はその行為をしないであろう。また、なぜ私は、その行為をすべきであると考えるのであろうか。例えばそれは、その行為をすることそれ自体を大事にしたいと私が思っているからである。第三に、人が望むことは常にその人の利益(幸福)であるという心理的利己主義の主張に関していくつか問題点がある。例えば、G.E.ムーアは、「欲求の対象」と「欲求の原因」を区別して、心理的利己主義を批判している。ムーアによれば、ワインを飲むという考えは私の心に快い感情を引き起こし、この快い感情はワインを飲みたいという欲求を生み出す。この感情が「欲求の原因」であり、「欲求の対象」はワインである。よって、ワインを飲むことによって私が得ることができる快は、「欲求の対象」ではない。 しかしながら、なぜ私は、ワインを飲むという考えを持つのであろうかと心理的利己主義者は問う。それは、ワインを飲むことによって快を得ることができることを私は知っているからである。この快こそ、ワインを飲むときに私が本質的に求めている対象である。
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