資本・資本家・資本主義 : 経済学への登場
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概要
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マルクスの主著名が『資本論』であることを想起するまでもなく、資本は経済学最重要の概念である。そしてヨーロッパ諸語なら当然これから派生する、資本家や資本主義も、経済学ひいては社会科学全体のキーワードである。本稿では、この三つの用語が、経済学の古典に登場した模様を浚って見る。もとより先行研究がない領域ではない。まず藤塚知義の1983年の論文は、スミス『国富論』での「資本」特にCapitalの登場とその理論的意義を論じた労作である。それは徹底的な文献探索を伴う深い考察を示しており、今なお多分にそのまま依拠し得るところのある名作である。敢えて批評すれば、スミスに集中し過ぎたため、前史特にペティ以前への考察が不足したことで、そこにも今日なお有意な史実が存在する。また、これには比較すべくもないが、 2003年には私自身「資本家」と「企業者」の登場を考察した。これには考証の補完がなお必要な上に、切り口を更えたほうが考察の意義を明確に出来る。さらに、初発は私に先行するが、重田澄男氏は、マルクスが「資本主義」なる語を用いなかったとの着想を実証するために4冊の本を書き,その範囲で考証上は小さからぬ成果を挙げた。しかし用語の検討は、広い視界の中で行なわれるほど豊かな成果を挙げるものである。重田氏がなぜ「資本主義」だけに固執し、もっと広く「資本家」や「資本」に遡及しようとしなかったのか、その方が不思議なくらいである。本稿の狙いは、力の及ぶ限りで視界を拡げることである。無論、充分拡げるには力不足であり、逆に、拡げたことで細部の考証が粗雑になる危険もある。だがここでは問題の大筋を示し得れば良い。視界の限界や考証の不足は、後日補完すべき課題として残しておきたい。
著者
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