叙事詩の語り手について
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概要
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古典学文献学の問題として知られているものに、ホメロス問題と言われているものがあるが、これは広く文学一般に係わる問題であって、専門分野に限定される問題ではない。そこで問われている問題、ホメロス作と伝えられる二つの叙事詩、『イリアス』あるいは『オデュッセイア』は、何を語るのかということは、いかに語るのかという問題に置き換えられるがそれは形式に纏わる問題であって、問題はその形式をいかに捉えるのかという事に尽きるからである。つまり事は文学とは何かを問う事にほかならない。私はこの問題をとく鍵は、語り手にあると考え、その点に絞り結論めいたものに近づくことができた。本論はその報告を内容とするものである。従来、ホメロスの語り手は、ホメロスの名でもって伝えられてきた伝説を巧みに纏めて伝達するものというように、その機能は極く単純に捉えられてきた。その為、現代における素朴な口承叙事詩の語り手の場合と、比較対照するような研究がなされているが、ホメロスの語り手の機能はさほど単純ではないというのが、私の考えである。それは二重の機能を併せ持ち、両者が相互媒介する所にホメロスの語り手の機能は見いだされるように思われる。
著者
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