『ダンマパダ』と教育
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概要
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『ダンマパダ』は、原始仏教以来もっともひろく仏教徒に尊重愛誦されてきた聖典である。しかし、わが国においては『法句經』の名で漢訳された経典が知られるものの、明治期まではさほど重視される経典とはされなかった。一八八三年にその原文からの抄訳が刊行されたのを皮切りに、一九〇二年以降には原文からの全訳が刊行され、近年では原文をもとにした解説がマスコミを通じてなされるようになっている。本稿では『ダンマパダ』の幾つかの文章を取り上げ、仏教による「生き方」の教えを教育学の立場から考察する。「実に自分自身こそは汝の守護者である。実に他の誰が(自分の)守護者となりえるのか? 実に調御された自分が、得難い守護者(=阿羅漢果聖者)となり得る」の章句は、ペスタロッチの『探究』の「私は、自然の所産であり、類の所産であり、私自身の所産である」の章句と通じるものがある。
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