「利益」のボーダーライン : 大脳機能の不可逆的な喪失と代理決定
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概要
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脳死者とPVS患者について、そのADの有効性の根拠や、家族による代理決定がゆるされる場合の条件などといった基本的なことが、これまで十分に説明されてきていない。この論文は、法や政策の正当化が目的である場合、「利益」が、安心や喜びなど、知覚と意識の上の経験である現象だけを意味する概念として理解されるべきであることを論証する。「大脳機能を不可逆的に失った人間の利益を法によって守る」ということには、次のような意味しかありえない。すなわち、「大脳機能を失う前の本人が、臓器の扱いや延命治療のあり方について、自分の希望どおりになることを約束されていると知って安心していたということが可能な状況を、法を用いて作る」ということである。先行文献のほとんどが、脳死者やPVS患者が意識を失う前に希望していたことを実現すること自体を、法的に守られるべき本人の利益であると論じていることを批判する。知覚と意識を不可逆的に失った患者にADがない場合、家族による代理決定を、それが患者の利益になるからという理由で正当化することはできない。
- 2006-09-25
著者
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