大阪市立児童相談所と付設「学園」の成立と展開
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概要
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大阪市立児童相談所と付設学園の成立から廃止の過程を明らかにし、それらの活動の歴史的意義について考察した。相談所は大阪市の児童死亡率を減少させ児童の健康な成長を図ること、および能力の効率的な管理と配置等の実現を目指し、救済事業募金をもとに三田谷啓の立案で建設された。学園は、大阪市の精神薄弱児調査や児童相談所の活動の中で問題化してきた精神薄弱児教育の必要性への対応として併設された。学園では40名程度の精神薄弱児に対して、生活体験学習と感覚訓練を重視した教育が行われた。しかし相談所は、その目的、必要性等について市幹部や市民等の理解が得られなかったことなどにより短命で廃止された。相談所廃止にあたって、学園を拡張し精神薄弱児の市立学校を建設する計画があったが、教育部による公立小学校の特別学級設置推進の動きのなかで実現しなかった。学園の実践は公立小学校の特別学級に継承された。
- 1992-06-30
著者
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