『尖塔』に見る掟と享楽
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概要
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ゴールディング(William Golding)の『尖塔』(The Spire)は,作者が最も関心を寄せるテーマが顕著に示されている作品の一つである。作者は,「掟」とそれを解体する諸要素との齟齬から生ずる人格破壊の現状をしばしば描く。そこでは,自己の存在の核心が脅かされ,自己像が壊滅し,主体的時間意識が失われる。ソールズベリー寺院(the Salisbury Cathedral)の初代主教をモデルにしたと考えられる『尖塔』の主人公ジョスリン神父(Dean Jocelin)の堕落に関しては,ゴールディングの他の小説の主人公同様,心の奥底に巣食う闇,いわば人間に内在する悪の為せる業であるというような漠然とした説明が行なわれてきた。しかし,このような曖昧な解釈ではゴールディングの描く世界の真の理解には到らない。作者は,作品の至る所に「掟」とそれを解体する諸要素を並列させ,「掟」による支配の強化が解体要素の勢力を一層熾烈な反撃に駆り立てる事実を示唆している。ジョスリンを拘束する掟とは,神の掟,首席司祭としての責務,寺院の威光の保持,そしてそれらすべての象徴としての尖塔建立の必要性などが考えられるが,これらと関連して,性の禁忌のようなものがこの牧師の精神を最も深いところで束縛しているように思われる。ジョスリンがこれらの掟を守りぬこうとする努力が,逆に掟を解体する力を醸成し,掟の強化が掟の崩壊を加速するという皮肉な結果を寺院の内外にもたらすことになる。掟の解体は,寺院の内紛,労働者の離反,犠牲者の続出,暴力と退廃,ジョスリンの自己像崩壊,内的時間意識の喪失などの現象を継続的に生み出してゆく。特に,掟の強化の苦痛がその極限において自己崩壊の享楽に転ずるという矛盾した心的傾向が,掟による統制を一層困難なものにしている。これらはいずれも,作者が各作品の中で首尾一貫して追求している主題であり,ゴールディングの作品の核を成す部分であると考えられる。本稿では,この部分に様々な角度から光を当てることにより,ゴールディングの作品に共通する根本問題の解明に努めるつもりである。
- 小樽商科大学の論文
著者
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