ハーマン・メルヴィルのポエジー : 「人間の終局の知」をめぐって
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
「迫り来る嵐」の最終行「人間の終局の知」は,『戦闘詩篇と戦争の相貌』のなかでも最も重要なフレーズのうちのひとつで,そこにメルヴィルのポエジーが収斂して表れている。本論では,シェイクスピアの『ハムレット』や聖書,それにメルヴィルの他のテクストとも比較照合し,多角的な見地からこの詩行の解釈を試みる。メルヴィルの選詩集の編者でもあるマッシーセンやウォレンなどは,この「人間の終局の知」を,「善と悪」が混在した「生の双面のイメージ」,「心」,「世界」として捉え,いずれも似たような解釈をしている。本論は,それを否定するものではないが,それにとどまらず,「有るか,有らぬか,それが疑問だ」によく窺われるように,ハムレット=ストレンジャーを創出した「シェイクスピアの核心」にあるはずの,また,メルヴィルにとっても最大の関心事でもある,西欧が近代になって直面せざるをえなくなった絶対者の有/無の次元の問題として捉える。議論の過程では,聖書で言及される絶対者の「顔」とメルヴィルの作品に構造的なモチーフとして表れる「顔」や「沈黙」とを対照させ,この互いに相容れぬ絶対者の有/無という問題提起に,メルヴィルにとっては創作上のモットーでもあった,芸術として昇華されるべき対極性の融合を見る。そして,また,根源者の問題と実際的なキリスト教的善意とのあいだに矛盾を抱えながらも,この世の生を生きる愛おしい人間の典型として詠われた「墓碑銘」の寡婦の「顔」に向けられる詩人のまなざしに注目し,それが,小品とはいえ,「人間の終局の知」を芸術表現にまで高めえた詩人メルヴィルのひとつの達成として評価する。
著者
関連論文
- ハーマン・メルヴィルのポエジー : 「人間の終局の知」をめぐって
- 旅と日常、そしてテクスト : 尊厳死についてどのように物語るか
- 風の戦ぎ : ハーマン・メルヴィルの『戦闘詩篇と戦争の相貌』にむかって
- 黄昏のもうひとり : ハーマン・メルヴィルの『クラレル』と諦観への軌跡