ビキニ事件後の原子炉導入論の台頭
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
In March 1954 a Japanese fishing vessel, Daigo Fukuryu Mam (Lucky Dragon No.5), suffered from radiation exposure from an American nuclear test at Bikini in the South Pacific. After this incident there appeared both in the US and in Japan a nuclear policy debate that the nuclear energy for peaceful purposes in general, and nuclear reactors in particular should be introduced into Japan in order to counter the communists' propaganda against American nuclear tests and anti-American movements in Japan. The Operation Coordinate Board of the US National Security Council adopted this policy very soon after the Bikini Incident. This was followed a wide range of strategic programs for Japan. Hidetoshi Shibata, then an executive of the Nippon Television Network Corporation, started his press campaign in January 1955 in the newspaper Yomiuri Shimbun together with its owner Matsutaro Shoriki, later the first president of the Japanese Atomic Energy Commission, for promoting nuclear energy for peaceful purposes. Shibata and Shoriki apparently were working together to fight against anti-nuke movements and anti-American activities in Japan. In May they invited John J. Hopkins, President of General Dynamics Corporation, Nobel laureate Ernest Lawrence from the University of California at Berkley, and Lawrence Hafstad, director of the division of reactor development of the American Atomic Energy Commission. Their talks in Tokyo were reported to have impressed many Japanese. This paper shows that Yomiuri Shimbun group's activities were in fact supported by the US government, and were carried out within the framework of the US foreign policy.
- 2004-06-25
著者
関連論文
- 冷戦期アメリカの対日外交政策と日本のテレビジョン放送導入
- 日本における「平和のための原子(アトムズ・フォー・ピース)」政策の展開
- 技術の内的発展法則論と歴史の法則性(アゴラ)
- 日本戦時科学史の現状と課題(2003年度年会報告)
- コメント2
- マックス・プランク協会における戦時研究見直しプログラム(アゴラ)
- 現代科学の社会史 (学会消息 日本科学史学会創立60周年記念パネルディスカッション「科学史研究の方法と展望」)
- 科学の散歩道 仁科芳雄と核兵器研究
- 物理懇談会と旧日本海軍における核および強力マグネトロン開発
- 科学の散歩道 オ-クリッジへの道
- GHQ史料からみたサイクロトロン破壊
- 「科学史・技術史の今日的課題」I
- コメント (科学史・技術史の今日的課題-1-) -- (第1部「科学史・技術史の過去・現在・未来」)
- わが国における第2次世界大戦期科学技術動員--井上匡四郎文書に基づく技術院の展開過程の分析
- ガリレオにおける振子の法則と落下の法則
- ガリレオにおける運動学的定理の発展--等速運動から加速運動へ
- 電磁気学の発展段階区分--非相対論的極限操作の視点から
- ガリレオ力学の形成(2)
- ハイテク時代の生産・労働・技術・科学 (「ハイテク時代」の科学・技術と労働者)
- 現代オ-トメ-ション論と制御技術論への視点--紡績機械発展史の分析を通じて
- 初期ガリレオにおける弦の法則と加速運動
- ビキニ事件後の原子炉導入論の台頭
- 第二次世界大戦時の日本の原爆開発
- 理研の「ウラニウム爆弾」構想 : 第二次世界大戦期の日本の核兵器研究
- ガリレオ力学の形成(1) : 誤謬推論説批判
- 原爆開発の科学技術史研究--資料紹介を中心に
- ロスアラモス研究所における原爆の開発と製造
- 第2次世界大戦期における原爆の物理学的研究と核兵器工学の成立
- 第2次世界大戦期における原爆の効果に関する事前予測
- 第2次世界大戦期における英米の独原爆察知問題
- イギリスにおけるマイクロ波レ-ダ-の開発過程--物理学者の動員を中心とした
- プランクの量子仮説とアインシュタインの光量子仮説
- 大阪帝大における中性子散乱実験
- 初期アインシュタインの物質像
- 科学史における現代物理学 (科学史のすすめ)
- 科学史における現代物理学 (科学史のすすめ)
- 大阪帝大創設を契機とする理化学振興
- 日本における近代科学の発達--その類型の序説的検討
- 日本における近代科学の発達--その類型の序説的検討
- 科学と技術の関係についての科学論的研究ノ-ト-1-
- 科学と技術の関係についての科学論的研究ノ-ト-1-
- 科学と技術の関係についての科学論的研究ノート I
- 素粒子模型の現段階と19世紀古典原子模型
- 理科教育:歴史から見えてくる日本の科学教育政策の問題
- 物理学教育と物理学史
- 科学史を授業に生かすことの意味
- パラダイム論から非相対主義的真理論へ : ピーター・ギャリソンのトレーディング・ゾーン概念によせて
- 福島原発事故後を考える : 一般市民との対話を : 学生の意識調査から見えてくること
- 4.コメント(第1部 科学史・技術史の過去・現在・未来,シンポジウム:「科学史・技術史の今日的課題」I)
- GHQ史料から見たサイクロトロン破壊
- 現代における戦争と科学技術 : SDI問題を考える
- 原爆開発の科学技術史研究 : 資料紹介を中心に