明治初期の中等学校における公民関連諸学科目の特質 : 教授内容提示型学科目としての出発した「学校の<教科>」としての公民教育
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概要
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本稿の目的は,明治初期(学制期から教育会期にかけて)の中等学校における公民関連諸学科目の特質を解明し,「日本の学校における社会認識教育はどのような形で出発したのか」という問いに答えることである。明治初期の公民関連諸学科目は,政治関連学科目・経済関連学科目・法律関連学科目の三つに分けられ,それぞれ教養的知識・学問的知識・実用的知識の提示をめざす学科目として導入された。こうした性格をもつ明治初期の公民関連諸学科目は,近代国家のモデルとなる知識の提示をある程度なしえたものの,自律的な教育目標・教育内容・教育方法を欠いていた。また,認識形成や資質育成という社会認識教育としての基本原理が自覚されたわけではなかった。そのため,提示する知識内容に応じて異なる学科目が多様に導入される形で,日本の学校における「教科」としての公民関連教育は出発することとなった。
- 沖縄大学の論文
- 2007-03-31
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