エドワード五世とヨーク公リチャード : ヨーク家の人びと(5)
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概要
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エドワード五世(1470-83?)とヨーク公リチャード(1473-83?)は、エドワード四世と王妃エリザベス・ウッドヴィルのあいだに生まれた王子たちである。エドワードは1470年11月にウェストミンスター修道院の聖域で生まれ、1471年に王太子に叙された。エドワードは、ラドロー城におくられ、そこが彼の本拠地となった。エドワードの教育は、父エドワード四世によって王太子評議会と母方の叔父リヴァーズ伯アントニー・ウッドヴィルにゆだねられた。1483年4月にエドワード四世が急逝し、エドワードが4月9日に王位を継承した。エドワード五世は、父方の叔父グロスター公リチャードをともなってロンドンへ帰り、弟ヨーク公リチャードとともにロンドン塔に居をさだめた。エドワード五世は、父エドワード四世とエリザベス・ウッドヴィルの結婚が有効でないという理由で、1483年6月25日に議会制定法によって正嫡ではないと宣言され、同日廃位された。エドワードとリチャードは、1483年7月にロンドン塔の敷地内で姿を目撃されたのを最後に、行方不明になった。王子たちがロンドン塔で殺害されたといううわさがひろまり、それ以後彼らは「ロンドン塔の王子たち」とよばれるようになった。だれが王子たちの死に責任があるかについての議論は、500年間以上にわたってつづいている。サー・ジェイムズ・ティレルは、サー・トマス・モアの『リチャード三世史』において、王子たちの殺害者とされているが、ティレルの自白は、ヨーク派の僭称者を阻止するためにヘンリー七世によって強要されたものであったかもしれない。ティレルは、王子たちをフランドルへ連れ出すのにその役割をはたしたとも考えられるのである。
- 2007-03-31
著者
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