『釈軌論』における「隠没」経 : 大乗仏説論との関連において
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概要
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本稿では,『釈軌論』に見られる経典の「隠没(*antar-√dha)」の議論の持つ意義を,大乗仏説論との関わりに着目して考察した.大乗仏説・非仏説が論じられる『釈軌論』(Vyakyayukti)第四章において,対論者(声聞)は「大乗には了義(*nitarha)説が存在しない」と論難している,世親は直ちにその論難を排斥することなく,経典の「隠没」の議論を提示して反論する.世親は,「現在では〔大乗・声聞乗を問わず〕多くの経典が『隠没』しているため,そのように断定することはできない」と主張し,声聞乗における経典(あるいは法門)の隠没を例示する(VyY,D97bff).ただ,『釈軌論』の議論の行程上,この経典の「隠没」の議論の占める位置付けは明確ではない.すなわち,一見すると世親はここで大乗における了義説の「隠没」を承認しているように思われるが,『釈軌論』同章のかなり後の箇所(VyY,D105bff.)で,彼は了義説(経)を引用しているからである.また,この議論と大乗仏説論との関連も明確ではない.本稿ではまず,この経典の「隠没」の議論は直接には声聞乗の経典(阿含)の隠没を説くものであるが,同時に,「大乗における了義説も声聞乗には知られていないという点で,〔実際には隠没していないのだが〕隠没したも同然である」ということを示しているという点で,間接的に大乗における了義説に言及するという趣意で導入されたものであろうということを論じた.同時にまた,『思択炎論』『入大乗論』に見られる類似議論との比較考察により,この経典の「隠没」の議論,特にその根幹をなすアーナンダ(阿難)批判が,特に両論においては大乗仏説論の脈絡のもとで導入されていることに着目した.すなわち,経典の「隠没」の議論は,アーナンダによって受持されていない仏陀の教説の存在を示唆しており,そこに大乗を位置付けることを可能にする論法であるという点で,大乗仏説論の議論上,重要な位置を占めるのである.
- 2007-03-25
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