『誹諧用意風躰』 : 口訳と考察(1)
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概要
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『誹諧用意風躰』は、撰集『続連珠』と一体の関係にある、北村季吟著の俳論書である。延宝四年(一六七六年)の末ごろ、『続連珠』に続いて刊行されたと推定される。『誹諧用意風躰』の主張するところは、古典の積極的な学習とその作句及び鑑賞への活用、談林俳諧の自由奔放、放埒への批判、正統派としての貞門俳諧とその果たすべき使命について、ということにある。一問一答形式による、十六項目からなるこの俳論は、具体的な例を交えるなど、理解しやすく記されており、主として貞門の初心者を対象としていることがうかがえる。当時急速に台頭しつつあった談林俳諧から、自派の初心者たちを引き離すことが執筆の目的の一つであったと考えられる。新興の談林派の行動と作風は、それまでの貞門主導の穏やかで平和な俳壇に混乱をもたらした。ここに、貞門に敵対する集団のあり方を批判し、俳諧の正道を歩んできた貞門派の立場を説く必要が生じたのである。たしかに、『誹諧用意風躰』に示された季吟の見識にはみるべきものが多い。その主要なものとして、人としての生き方への教訓的、倫理的な訓蒙や、社会に対する俳諧のなすべき貢献への言及をあげることができる。それは例えば「此道(阿部注、俳諧の道)にいるといる人自然に物の道理をわきまへ。邪路(ジャロ)をしりぞけ。よろづ物まめやかにのみなりけらし」(第二項)とか、「あらたまのとしのはじめより万民三物などして。君をいはひ。身をもことふき。父子兄弟によろしく。朋友を和する事。はいかいにしくへからずや」(第十六項)などというような内容である。こうした点では、外界への視点に欠けがちな談林俳諧に優越していたのである。しかし、俳壇の主流にあった貞門の俳諧が、次第に清新さを失い、形式主義に陥りつつあったこともまた事実である。一方、庶民層における教養の高次化、個性の自覚は、新奇、変化、自由への要求を強める契機になった。談林の俳諧はそうした時代の趨勢に応える要素を備えていたのである。本稿では、尾形仂氏による翻刻を底本として口訳するとともに、項目ごとの問題点について検討を加えた。
- 2006-03-31