R.F.チザムのインド建築観の展開に関する研究
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概要
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1.序ロバート・フェロウズ・チザム(1840-1915)は1864年から1900年までインドで活躍したイギリス人建築家である。本論では、その長いキャリアのなかで、彼がいかなる建築観でインド建築を理解したかを分析する。2.チザムのキャリアチザムは1864年から1881年までマドラス州で、1881年から1900年まではバローダで建築に携わった。その間、1864年にマドラス政府顧問建築家、1870年にマドラス公共建築局の顧問建築家、マドラス美術学校の学長、1871年に王立建築家協会の特別会員となるなど、要職で働いた。3.マドラス時代(1864-1881)マドラス総督ネイピア卿は、建築様式にかんして、ムスリム様式(Mussulman Style)は、いかなる社会集団にも受け入れられる様式であること、ヒンドゥー建築とムスリム建築の融合が賞賛されるべきこと、したがって公共建築ではムスリム様式を現代化して使うべき、という意見をもっていた。チザムは、ごく初期の公共建築でヨーロッパの様式をつかったものの、ネイピアの建築観が明らかになったのちは、ヒンドゥー=サラセン様式をつかった。しかし個人のクライアントのためにはゴシック様式や古典主義を使った。こうしたチザムの建築観だが、まずイギリス人は征服者の立場でむしろ征服された人びとの芸術や建築を守るべきことを主張した。『ネイピア博物館』(1872)なる記事では、その土地の気候や人々の要望をくみ取ること、土着の建材を使うこと、人々が慣れ親しんだ装飾をほどこすことなどを主張した。そして全体としてはヒンドゥーと混合したイスラム建築の形態を使うが、装飾や仕上げなどでは現地の職人に任せたことを述べている。4.ボンベイ時代(1881-1900)ファーガソンは、短期間(1880-1885)ボンベイの総督であった。彼はインドにおけるこれからの建築様式にかんして、ゴシックが適切ではなく、サラセン様式(Saracenic style)がふさわしいが、しかしゴシックやサラセンは尖頭アーチの使用など共通点があるから、ゴシック様式もそのままでなければ使用できるかもしれないと考えていた。彼もまた、ホンコンの例をもちだしながら、地元の職人が様式形成に貢献できるという意見をもっていた。チザムは、この時期にヒンドゥー=サラセン様式(Hindu-Saracenic style)と、インド的装飾で飾られたヨーロッパの様式、という2種類の様式を使った。こうしたチザムの建築観だが、とくにグジャラートの建築をスタディしつつ、当地の建築は、イスラム建築の支配下でヒンドゥーの職人が働くことで、双方の建築が融合していることを指摘している。自作についての記事『バローダ・カレッジ』(1896)では、ドームを西洋とサラセンの共通要素としつつ、地元の職人の貢献を期待したことを表明している。5.ロンドン時代(1900-1915)教会建築ではドームが使われているが、それはサラセン建築の特徴としてのドームであった。6.まとめ彼の建築観は次のように要約できる。1.ゴシックや古典主義はインドにはふさわしくない。2.外国の芸術は、修正され、現地の芸術、気候、素材に適合され現地の人々に親しみのあるものにされなければならない。3.インドの公共建築における最良の様式は、インドにおけるイスラム様式である。イスラム教徒は、ヒンドゥーの職人を起用することで、イスラム様式とヒンドゥー様式を混交した。4.ふたつの様式を混交させることによって、イギリス人建築家とインド工人のコラボレーションが促進される。5.インド様式の特徴は、ドームや屋根の形にある。6.ドームはサラセン様式の特徴である。サラセン様式を採用したのは、セポイの反乱後、イギリス政府とインドの人びとの関係を円滑にするためであった。チザムはネイピア卿の理念に共鳴し、ゴシック様式や古典主義様式を単純に導入するのではなく、公共建築にはサラセン影響を使用すべきだと考えた。またチザムはイギリス人建築家が、イスラム建築家の後継者から建築言語を継承できるようにしようとした。彼はマドラス時代、ヒンドゥー=サラセン様式(Hindu-Saracenic style)を公共建築のスタイルとして確立しようとした。とはいえ彼は、個人建築については施主の要望にもとづきゴシック様式をも採用した。ボンベイ時代は、ドーム建築を展開し、ヨーロッパの原理とインド建築の原理を統合としてドーム式のバローダ・カレッジを建設した。チザムはファーガソンの影響はそれほど受けていないようである。ハーヴェルは、当時のインドにおける建築行政は、各州の総督の意向に左右されたと考えた。しかしチザムの場合はかならずしもそうではなく、バローダで得た建築観をそのまま発展させたと考えられる。
- 2005-02-28
著者
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