先秦時代の儒家と道家の言語に対する見方について : 言と意の関係から
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概要
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本論文は先秦時代の儒家と道家の言語に対する見解を言語における「言」と「意」の関係の側面から考察,比較したものである。言語の中の「言」と「意」の関係は中国文芸理論における長い間の重要課題と思われてきた。文学においては「立意」,絵画においても「写意」など,中国の文芸理論は古来より表現主題の精神を代表する「意」を重視し,「言」を通して「意」を表すことに深く関わりつつ,「言」と「意」の関係について探り続けてきた。一般的に言って,先秦時代の文芸理論で最も注目されている「言」と「意」に関する見解は,「言」と「意」という表現を実際に使用している『易伝』や,『荘子』のなかの「言」と「意」に対する討論である。しかし本論文では「言」と「意」の広い定義を採用し,「言」と「意」という表現を実際に使用していない孔孟と老荘の文学見解に関して「言」と「意」の関係の側面から考察し,先秦時代の儒家と道家の言語に対する認識を解明することを試みた。
- 千葉商科大学の論文
- 2003-09-30
著者
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