福岡県幼児保育史研究 (III) : 昭和前期の幼稚園
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
本稿は、大正15年4月公布された『幼稚園令』以降から日本が敗戦を迎える昭和20年8月までの福岡県の幼稚園の実態を考察するものである。この期の福岡県の幼稚園は、年々、増加し、大正15 (昭和元) 年、20の幼稚園数であったのが、10年後の昭和10年には、32園となり、敗戦国となった昭和20年には、56園となる。それは、北九州の各市および福岡市などの市街地をはじめとして、郡部では炭鉱地帯に設立された。その設備は、福岡県唯一の公立幼稚園である小倉幼稚園以外は、十分ではなかったという。そして、小倉幼稚園以外は、私立幼稚園であるのが、福岡県の特徴である。保姆の資質は、『幼稚園令』公布以降、保姆資格を明確化したことと、経済不況などで優秀な保姆が集まるようになり、向上したという。そして、保姆が共同して、保育研究会を開催するようになり、保育内容および保育方法の向上を図るようになった。しかし、軍部の力が強くなり、昭和10年代は、幼稚園は、戦争に左右され、十分な保育をすることが出来なくなった。