17世紀フランスの文化と社会 : ヴェルサイユ宮殿ができるまで
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概要
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フランス語が国の言語として制定され、フランスが今の姿をとりはじめだのは16世紀であった。しかし、この16世紀はカトリックとプロテスタントの対立による市民戦争で国が分裂の危機にあった時代でもある。その後に来る17世紀はルイ13世とリシュリューのもと、言語、文化など様々な分野で規範を制定し、国の統一をはかろうとした時代である。 1634年に設立されたアカデミー・フランセーズは規範としてのフランス語を定め、また、当時の先端的文化活動であり同時に政治的意味合いを併せ持つ演劇の作劇法にも厳しい制限を加えた。ルイ14世は、この方針をさらに強く推し進め、フランスの絶対王政が出現する。その象徴的存在であるヴェルサイユ宮殿は、庭園を遠近法により設計し、自然を人間の手で合理的に支配しようとする意図を明白に示したものである。この時期に形作られた「フランス古典文化の精神」は、18世紀の「自然への回帰」という流れにもかかわらず今日のフランス的精神の中に息づいている。
- 人間環境大学の論文
- 2002-12-01
著者
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