祝う世界(イル・モンド・フェステッジャンテ) : フィレンツェのメディチ家宮廷における祝祭時の劇場システム(1608-1661年)
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
上演芸術史において,フィレンツェのメディチ家宮廷がもつ重要性については議論の余地がないであろう。まさにこの宮廷において,ヤーコポ・ペーリによる史上初の音楽劇(オペラ)が上演され,ブオンタレンティ設計の有名なメディチ劇場が開設されたのである。大公国の政治経済的衰退が明らかな17世紀においてさえも,この宮廷で催される祝祭と上演物は西欧の他の諸宮廷にとっての模範であり続けた。本論文では,17世紀前半,より厳密には,いずれも婚礼祝祭の催された1608年と1661年の間の時期において,メディチ家宮廷で用いられた劇場システムについて考察したい。同宮廷では,とりわけさまざまな上演物が催される祝祭においては,上演物自体の類型を考慮しつつ,さまざまな類型の劇場と劇場的場が用いられた。メディチ家が催した祝祭,とりわけ婚礼祝祭の検証を通じて,同宮廷では劇場と劇場的場が概ね二つの類型に分類されていたと推定できる。一つはトルネオ(騎士試合)用の野外劇場であり,もうひとつは演劇と音楽劇の上演のための室内劇場,近代的な意味での文字通りの劇場である。野外劇場に関しては,たとえその形式が変化したとはいえ,中世に起源をもつ「囲われた広場」の伝統が,とりわけその機能において存続していた。しかし演劇と音楽劇のための室内劇場については,宮廷は恒常的に機能する劇場を生みだすことに失敗し,各種の劇場的場の応急的な使用に依存し続けたということを銘記せねばならない。この傾向はとりわけ1630年代のメディチ劇場の解体以後に顕著である。ピッティ宮中庭の使用などさまざまな提案がなされたものの,有効な方策とはいえなかった。それ故に,1661年の婚礼祝祭においては,アッカデミア・デリ・インモービリのペルゴラ劇場が音楽劇の上演に充てられたのである。かくして上演の場の問題は,貴族たちが所有するほとんど私的かつ市民的な劇場を用いて宮廷外で上演物を催すというかたちで解決されたのである。
- 2005-03-30
著者
関連論文
- フィレンツェのジャック・カロ : 新たな上演芸術表象の誕生
- 馬車と宮殿 : 17世紀のピッティ宮諸計画案における馬車の影響
- 「古代ローマの都の光輝(アンティクワエ・ウルビス・スプレンドル)」 : 17世紀ローマにおける古代建築復元図の版画集とそのバロック建築への影響
- 太陽神の宮殿(レギア・ソリス) : ベルニーニによるルーヴル宮第1計画案の着想源と象徴的意味内容
- ボーボリ庭園の「アンフィテアトロ」 : 17世紀後半の改築案
- 祝う世界(イル・モンド・フェステッジャンテ) : フィレンツェのメディチ家宮廷における祝祭時の劇場システム(1608-1661年)
- 古代ローマの都の光輝(アンティクワエ・ウルビス・スプレンドル):十七世紀ローマにおける古代建築復元図の版画集とそのバロック建築への影響 (記念シンポジウム バロック建築研究の射程--バロック研究からみた「西洋建築史」の新たな可能性) -- (話題提供(研究方法・成果の紹介))
- 「家屋もしくは邸館」:ルネサンス期フィレンツェにおけるパラッツォの社会的機能と意義
- ディスカッション (記念シンポジウム バロック建築研究の射程--バロック研究からみた「西洋建築史」の新たな可能性)
- 日本橋の近代建築案内