「食」の教育的契機への郷土教育論的アプローチ : 経験される対象としての「食」の陶冶価値と教材化の視点
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概要
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本研究は「食」という対象を取り上げ,対象としての「食」,及び,行為としての「食」を総合的な経験として把握し,両者がその内に孕む教育的契機と教育的価値を究明しようとするものである。「衣食住」という言葉に示される通り,「食」とは極めて日常的な事物であり行為であるゆえにかえって対象化がされにくく,その含み込む要素の多様性ゆえに教育的考察の焦点化が難しい。「食」はあらゆる社会的事象と関係づけることが可能であるが,その関連性のままに「食」と取り組むことは,生命とは何か,環境とは何かというような壮大なテーマと直接に向き合うこととほとんど代わりがない。オープンエンドでの取り組みは焦点の拡散をもたらし,何を学んだのかがわからなくなりがちである。「食」の中の具体的事物から取り組みを始め,具体的事物との関わりにおいて追究させ,具体的事物への考察に収束させることによって,追究対象は明確化され,限定されるようになる。この難しさとこの可能性は,郷土教育の持つ性格に類似している。郷上の事物を対象にして追究し,その背後にある関連性を探り,再び郷上の考察へと戻るアプローチである。このような「郷上教育論的アプローチ」が「食」に関わる教育に求められると考える。学校教育においては,たとえば給食において子どもたちと「食」の具体的様相との接点がある。教育的指導の端緒はここにあると考えられるが,給食指導には教科指導と異なる指針の不分明さがあることを否めない。ある対象に関する知識・理解と,その知識・理解の獲得のプロセスで学ばれる態度・能力を想定することができる教科指導に比べると,給食指導における知識・理解と態度・能力との関係性は明確に意識されているとは言えない。態度・能力の指導の結末に,知識・理解の期待値を重ねているような不透明なところが少なからず見受けられるのである。給食指導の意義は,それに関わる教師の主観や指導のあり方によってさまざまなあり方によって実現の程度が異なってくるであろうことは当然である。また,社会科等の教科指導におけるのと同様に,給食指導においても知識・理解と態度・能力とは一個の人格の中に統一的に発展させられていかなくてはならないことは間違いない。そのために,給食指導においては何が期待できるのか,また期待される結果をもたらすためにはどのようなアプローチで給食指導を行うべきかが指導者に十分理解されていなければならない。本稿では「食」を考察することの意義と限界を示し,さらに「食」をいかなる教育活動に位置づけるかという点に関しての指針を示すことを目的としている。これは「食」に関する総合的学習の構想への序論として筆者の今後のアプローチのあり方を示すものでもある。筆者はこれまで「郷土」という概念を有効な「装置」として用いることで地域学習や郷土学習を考察してきた。このアプローチは「食」に関わる学習にも適用可能であると考えている。
- 2005-02-21
著者
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