Boccaccioにおけるmisoginia(女嫌い)の意味 : Corbaccioの新たな位置づけ
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概要
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《はじめに》 misoginia(女嫌い)は、言うまでもなく、ヨーロッパ古典中世文学の伝統における典型的トポスのひとつである。中世の作家であるBoccaccioの作品にこのテーマが登場しても、それ自体は何ら不思議なことでもない。しかしmisoginiaを基調とするかに見えるこのBoccaccioの最後の俗語による物語が、代表作Decameronのすぐ後で書かれたということが、読者の首を傾げさせる。Decameronにおける作家の顕著な平衡感覚と現実的で冷静かつ寛容な精神、とりわけ4日目の序文の中で語られる有名なFilippo Barducciの息子のエピソードに顕著に現れるようなnaturalismoに基づいた「女好き」的姿勢が、Corbaccioには微塵もなく、それどころか抹香臭い坊主の説教じみた道徳的訓示、そして独創性のない女の悪口が延々と述べられるばかりではないか。そして、Corbaccioの文学的評価は概して芳しいものではなかった。一体どうしてBoccaccioはElegia di Madonna FiammettaやNinfale fiesolano等の初期の傑作に始まり、代表作Decameronの境地に到達した揚句に、彼の得意としてきた俗語散文によるフィクションという、Decameronとまったく同じ様式によって、Corbaccioのような「駄作」を、それもDecameronの直後に書いたのだろうか。従来この「謎」は、Decameron中のCorbaccioと大変よく似た物語(八日目第七話)とともに、この時期に作者の身に起こったのではないかとされる自伝的出来事によって説明されてきた。すなわち齢四十を越したBoccaccioが年甲斐もなく、ある未亡人に惚れ込んで、彼女に翻弄された揚句に手ひどい振られ方をして理性を失い、復讐の念にかられて、この「たがのはずれた」作品を書き上げた、という自伝的解釈である。こうした作者と作品中の人物の同一視に基づく解釈の起源は18世紀のManniの説に溯ることができるが、16世紀にも既に同様の解釈が存在していたことが、Brancaの研究によって解明されている。また前世紀末から今世紀初頭にかけての実証主義的研究は、もっぱらこの自伝的解釈の立場から行われている。こうした自伝的解釈は決して過去のものではない。その後もSapegno、Bruscoliらの解釈は、こうした見解に基本的に一致している。Billanovichはこの作品を、中世の伝統的トポスを用いたfavolaとして解釈する新たな見解を示し、そうした方向性はBrancaに受け継がれているが、両者ともfavolaの背景に自伝的事実が存在するという見方自体は否定していない。Padona、Martiら現代のBoccaccio研究の第一人者たちもまた、この視点を根本的に受け継いでいると思われる。Corbaccioの校訂を行ったNurmelaもまた、こうした見解から自由ではない。彼の次のような見解は、この作品に対する評価の一つの典型であると言えるだろう。Corbaccioをまず第一に内面的心理を表す文献、作家の少なくとも間接的告白と見なすことは、今日なお当然のことであると私たちには思われる。この作品の、おそらく無意識のものと思われる文体の顕著なアンバランスは、作品をひとりの男の感じやすい心の中の相反する欲望と野心の間の苦しい葛藤として出現させる。この男は既に自らを年老いたと感じており、明らかに本気で、今まで彼が一度も表明したことのなかった新しい文化的道徳的信念を採用したのだが、まだ心底からそれに従うことができなかったのである。男として、そして芸術家としての古い懐かしい情熱は、真に埋葬されたのだが、言わば、生き埋めにされたのだった。自伝的事実に結び付けるか否かは別にして、こうした何らかの精神的危機に作家が直面していたという解釈は、多くの論者たちに見いだされる。Padoanの解釈は、当時のフィレンツェにおける政治的宗教的状況を分析した大変興味ぶかいもので、多くの研究者に影響を与えた。その中でPadoanはCorbaccioの制作年代をめぐって新しい説を提唱し、論議を読んだ。Boccaccio研究の第一人者であるBranca、Marti、Ricciらが、おおむねこの従来よりおよそ十年近く遅い1363-66年ごろにCorbaccioが書かれたとして、前作Decameronとの間に十年近い距離を置く見解を支持している。Padoan説は表向きは、従来説が推定の唯一の論拠とするCorbaccioの中の記述(Marti版p.29)の新しい解釈を論拠とする、純粋にテキスト解釈的な提案として出されているが、Hollanderが指摘するように、その背景には明らかに「Corbaccioのような作品がDecameronの直後に書かれたはずがない」という確信が存在していることはほぼ確実であろう。事実PadoanはCorbaccioと後期作品の共通性の分析に力点をおいており、とりわけEsposizioni sopra la comedia di Danteとの共通性を強調している。Martiも若干の修正を加えながらも、おおむねPadoan説を支持し、Corbaccioの制作年代を遅らせる見解を補強している。彼もまた、DecameronとCorbaccioの間に根本的相違を見いだしている。このように、根本的
- 1992-10-20
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