ゴルドーニにおける18世紀的感性 : 喜劇『別荘生活』 La Villeggiatura を中心に
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概要
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1748年から1752年にかけてヴェネツィアのサンタンジェロ劇場を興行の拠点とするメーデバノク座に台本を提供し、喜劇の改良に成功を収めたゴルドーニは、同じくヴェネツィアのサン・ルーカ劇場に移った1753年から不遇の時代を迎える。新しい環境への対応の難しさに直面しながら、ともすれば競争相手の劇場に流れてしまう気紛れな観客を惹きつけるため、ゴルドーニは流行の異国趣味や、韻文による科白を採り入れ、それまで自ら追求し実践してきた写実的な手法そのものを否定するかのような数多くの喜劇を試みた。だが、「ペルシャの花嫁3部作」の成功など若干の例外を除いて、この低迷の時期に執筆された作品が積極的に評価されることは概ね稀である。しかし、こうした時期にもゴルドーニはサン・ルーカ劇場との契約にしたがって年間8本という少なからぬ数の台本を執筆し続けているし、また、ゴルドーニの喜劇に寄せる同時代のヴェネツィアの人びとの関心も決して失われたわけではない。近年のゴルドーニ研究は、この時期に執筆された中庸な作品の数々を、ゴルドーニが円然した筆致と共にヴェネツィアの市民生活の主題に立ち返った1760年代の傑作群のための思考錯誤の段階と考える傾向にある。そして、この空白の時代に、のちに深く追求されることになる様々な問題意識の萌芽を見出そうとしている。そのような観点から注目される作品のひとつが『別荘生活』La Villeggiatura (1756年初演)である。とりわけゴルドーニ研究の第一人者であるFidoは、この喜劇に積極的な評価を与え、「1759年から1762年までの偉大な3年間より前に、サンルーカ劇場においてなされた、ヴェネツィア出身の作者の最も充実した試みのひとつ」と述べている。Fidoはこの喜劇を、のちに書かれる代表作「別荘生活3部作」(1761年)と同しく「敗北感に苛まれ田園から帰還する、感受性に鋭く、気難しい婦人の物語」であるとし、そのラヴィニアアの不興の原因を、うわべを取繕う虚偽の儀礼に満ちた貴族生活への耐えがたさにあると分析している。Fidoによれば、ラヴィニアは「本質的にあまりにもブルジョワ的」であり、そのため彼女の鋭敏な感性は、他の貴族たちが無反省に溺れている享楽的で堕落した生活に妥協できなかったのた。ゴルドーニの喜劇の中に、当時の階級社会の現実や、社会思潮の反映を読み取るFidoの解釈は興味深く説得力を持つものだが、ラヴィニアの性格を「ブルジョワ的価値観」のような社会階層に基づく枠組みのなかで規定することには疑問が残る。これはむしろ、18世紀の文化を論じる際にしばしば言及される「情熱」(passione) や「繊細な感受性」(sensibilita)の表出の問題として解釈する可能性があるのではないだろうか。よって本稿では、『別荘生活』とFidoの解釈とをさらに詳しく検討するとともに、筆者の提案する読みの根拠も合わせて提示しながら、それぞれの妥当性を考え、『別荘生活』の再評価を目指したい。
- イタリア学会の論文
- 2003-10-25
著者
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