『ティートの寛容』 : メタスタジオの原作とモーツァルト/マッツォラ版の比較
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概要
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序 モーツァルト作曲『ティートの寛容』に対する評価 モーツァルトが作曲した『ティートの寛容』(k.621)は1791年に初演された。台本はそのおよそ半世紀前に書かれたメタスタジオの作品に手を加えたものを使っている。モーツァルトが『ティートの寛容』と同年に作曲した『魔笛』や、それまでの五年間に発表した『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『コシ・ファン・トゥッテ』は現代の歌劇場において、いずれも人気を誇る演目になっている。にもかかわらず『ティートの寛容』はモーツァルト後期のオペラの中では我々にとって極端になじみの薄い作品である。この作品は初演の後に相当の人気を博した^<(1)>にもかかわらず、ロマン主義の時代には忘れ去られ、再び劇場のプログラムに加わるのは今世紀も末になってからであった。ごく最近まで『ティートの寛容』は、次のように紹介されるのが一般的であった。人間味の少ない古くさい形式的な台本に災いされてはいるが音楽は何といっても一級品で最近とみに評価が上がってきている^<(2)>。メタスタジオのつまらない台本のせいで作品の価値が下がったと批判され、しばしば次のようなエピソードが付け加えられた。スコアは、十八日間で全部仕上げられた。それはちょうど、モーツァルトが《魔笛》と《レクイエム》の作曲に精力を奪われ、経済的な困窮に喘ぎ、妻の病に悩み、自分自身も健康をそこない、死の淵に立っていた時であった^<(3)>。このように過去の音楽学者は『ティーノの寛容』はモーツァルトの作品のうちでは出来の悪いものだと判断し、その原因をモーツァルト以外の要素、つまり台本や周囲の環境といったものに負わせてきた。時代遅れのメタスタジオの台本であるにもかかわらず、モーツァルトはそこから新しい表現を作りだそうと健闘した、というわけだ。例えば次のような記述がそうである。メタスタジオの台本は克服され、より多くの活動の余地を音楽に与えまた音楽を飛躍させるように、新たな台本形式が形成されたのである^<(4)>。このような批判は、ほんの二十年前まで『ティートの寛容』解釈の主流であった。ここには既に評価の定まった巨匠の作品を客観的に分析することなく、それを追認するだけの「大作曲家主義」や、時代が後になるに従って音楽は進歩するはずだという「音楽的進歩史観」が見られる^<(5)>。神童モーツァルトは決して間違った判断をしない、悪いのは興行主や台本作家だ、『ドン・ジョヴァンニ』のようなロマン派の先駆けとなるオペラを書いた「進歩的」なモーツァルトが古色蒼然たるメタスタジオのオペラに「退化」するのはお金のためだ、しかも瀕死の作曲家が前後不覚の状態で書いたのだ、駄作でも仕方ない、という具合である。このような「曲解」が一般に受け入れられてきた過程は、十九世紀以降のドイツを中心とした音楽学の傾向をそのまま表しており、興味深いものである。しかし本論ではその点には深入りしない。ここでの目的は、巨匠モーツァルトという偏見にとらわれることなく『ティートの寛容』の台本を詳細に検討して、メタスタジオの原作とモーツァルトが使用した改作を比較し、その違いはどこにあるのか、改作は適当なものであったのかを明らかにすることである。
- 1998-10-20