ブルーノにおけるコペルニクス : 『灰の水曜日の晩餐」をめぐって
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概要
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ブルーノがコペルニクスを、たとえ限界があるにせよ単なる数学的天文学を超え出る学者とみなしていたことは、『灰の水曜日の晩餐』の中で、次のように言っていることからも知られるところである。すなわち、彼はヌンディニオとの討論において、コペルニクスが計算の便利さのためだけで大地が動くと言ったとすれば、「彼の理解はわずかなものであり、不十分であった。しかしコペルニクスは彼がそれを述べたように理解したのであり、しかも全力をつくしてそれを証明したことは確かである」^<(50)>と言っている。実際、ブルーノはテオフィロの口を借りて言っている、「彼は大地の運動を仮定する数学者の役目を果たすのみならず、また大地の運動を論証する自然学者の役割をも果たしている」^<(51)>。しかしブルーノはどうしてコペルニクスを「自然学者の役割をも果たすもの」とみたのであろうか。問題はコペルニクスがピュタゴラス派の哲学者の説に触発されて地動説を考えたという点にある。ピュタゴラス派は数を実在の構造を示すものと考えた。コペルニクス自身はすでに見たように、実在問題への関与について明言を避けようとしたが、ピュタゴラス派の説に触発されて地動説を考えたという言葉によって、その本心を吐露することになったと言えよう。ルネサンスにおけるピュタゴラス主義の影響は、数学を自然学や形而上学と結びつける思想の展開をうながしたと言えるであろう。プラトンがピュタゴラス派のもとに留学したことはよく知られている。その意味でプラトンはピュタゴラスの弟子と言えるであろう。マルシリオ・フィチーノを始めルネサンスのプラトン主義者たちは、ピュタゴラスの教えを古代神学(Prisca theologia)の正統の系譜に属するものとして尊重した。しかしブルーノ自身は必ずしもピュタゴラス派に組したわけではなかった。なぜなら、ブルーノは数が事物の原理であることを受け入れることができないからである。またブルーノはコペルニクスの地動説に加担することはあっても、数学的天文学者たらんとしたわけではなかった。そうした点から、ブルーノとコペルニクスとの間には大きな隔たりがあった。ブルーノの宇宙論の発想、とりわけ宇宙の無限性と原子論の発想に、古代哲学者の中でもある意味で最も重要な影響をあたえたのは、おそらくルクレティウスであったように思われる。そしてブルーノ自身その著書の方々に、ことに『無限、宇宙と諸世界について』(De l'Infinito, Universo e Mondi)においてはかなり多くの箇所に、ことさらそれと断らなくとも、ルクレティウスの『自然の事物について』を引用している。しかしブルーノにとってヘルメス・トリスメギストスは重大な意義をもった。フランセス・イェイツはブルーノに関するその研究を回顧しながら、次のように言っている、「『ヘルメス集成』(Corpus hermeticum)の中にわたしは、大地は動く、なぜならそれは生きているからというヘルメス・トリスメギストスの言説と、エジプト人の魔術的宗教に対する熱情あふれる嘆きを見いだした。ここについて、オックスフォードの博士たちとの論争への究極の手がかりがある。太陽中心の宇宙は、ブルーノの魔術的宗教の象形文字であった。彼は、ヘルメスがその嘆きにおいてエジプト人の宗教の復帰を預言したように、その復帰を預言したのである。こうしたことは、わたしがブルーノのラテン語の著作の中に発見していた魔術と符号した。そしてイギリスにおけるブルーノをルネサンスのマグスとして説明した。わたしが近代精神の見解として尊敬するように教えられてきたコペルニクス主義の核心におけるこの発見は、わたしに深く感銘をあたえ、わたしをヘルメス的伝統の研究へとみちびいた。そしてわたしは今ブルーノを、この伝統の指導的代表者であったことを見いだした」^<(80)>。わたしはイェイツの見解はいささか誇張されたものでないかと思うが、ヘルメス的伝統がブルーノにあたえた深い影響は考慮すべきであろう。ブルーノにとって重要であったのは、大地が宇宙の中心ではなく、他の星々と同じに動く天体の一つであるということであったのでなかろうか。そうしたことが宇宙の無限性について彼の中核的発想であったのではないかと思われる。ブルーノはこの「宇宙における地球の脱中心化」(decentralization of the earth in the universe)という観点から、コペルニクスやピュタゴラス派やヘルメス主義の太陽中心説に関心を示したので、そうした観点からすれば、それらの論者たちの見解は彼にとって中途半端なものと見えたのでなかろうか。だからこそ、すでに引用したテオフィロの言葉におけるように、コペルニクスやピュタゴラス派やプラトンや神のごときクザーヌスのようなすぐれた人々が、「ブルーノ以前に、そうしたことを語り、教え、確認したことは、ブルーノにとってほとんど意
- 1998-10-20
著者
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